使命を信じた人々は、言うに言われぬ希望に満たされて、救い主の来られるのを待った。彼らが主に会うことを予期した時は切迫した。彼らは、冷静な厳粛さをもってこの時を待った。彼らは、神との親しい交わりの中で安んじていた。これは、輝かしい来世において与えられる平和の先ぶれであった。この希望と信頼を経験した者は、あの待望の貴重な時のことを忘れることはできない。この時の数週間前に、世俗の業務の大部分は片づけてしまった。まじめな信者たちは、あたかも死の床にあって、あと数時間で地上に別れを告げるかのように、心の思いと感情を注意深く吟味した。だれも「昇天衣」など作らなかった。 GCJap 428.1
しかし、すべての者は、救い主を迎える準備ができたという内的証拠の必要を感じた。彼らの白衣は、魂のきよめ、キリストの贖罪の血によって罪からきよめられた品性であった。今でも神の民と称する人々の間に、これと同じ自分を吟味する精神、同じ熱誠と断固とした信仰がほしいものである。もしも彼らが、こうして主の前に心を低くし、恵みの座において、彼らの嘆願を訴え続けたならば、彼らは、今よりははるかに豊かな経験を与えられたことであろう。祈りがあまりにも少なく、罪に対する真の自覚があまりにも少ない。そして、生きた信仰がないために、多くの者は、贖い主が豊かに与えようとしておられる恵みを受けていないのである。 GCJap 428.2
神はご自分の民を試みようとされた。神のみ手は、預言の期間の計算上の誤りを覆い隠された。再臨信徒は、誤りを見つけなかった。また、彼らの反対者の中の最も博学な人々も、それを発見しなかった。学者たちは言った。「あなたがたの預言期間の計算は正しい。何か大事件が起ころうとしている。しかし、それは、ミラー氏の予言するものではない。それは世界の改心である。キリストの再臨ではない」 GCJap 429.1
期待した時は過ぎた。しかし、キリストは、民を救うためにおいでにはならなかった。真実の愛と信仰をもって救い主を待望していた人々は、苦い失望を味わった。しかし、神のみ心は、なされつつあったのである。神は、主の再臨を待つと言っていた人々の心を試しておられた。彼らの中には、ただ恐怖にかられていた者が多かった。彼らの信仰の表明は、その心や生活に影響を及ぼしていなかった。期待した出来事が起こらなかった時に、この人々は、自分たちは何も失望していないと言った。彼らは、キリストが来られるとは信じていなかった。真の信者の悲しみをあざけりだしたのは、彼らであった。 GCJap 429.2
しかし、イエスと天の全軍は、試練を受け、忠実でありながらも失望に陥っている人々を、愛と同情をもって見つめていた。もし、見える世界と見えない世界を隔てる幕が取り除かれたならば、天使たちがこれらのしっかりした魂に近づき、彼らをサタンの矢から守っているのが見えたことであろう。 GCJap 429.3