この運動が起きたのは、二三〇〇日の起算点であるところの、エルサレムを建て直せというアルタシャスタ王の勅令は、紀元前四五七年の秋に効力を発したのであって、以前に信じられていたように、その年の初めではなかったということが、発見されたからであった。四五七年の秋から数えれば、二三〇〇年は、一八四四年の秋に完了する。 GCJap 457.3
また、旧約聖書の型から見ても、「聖所の清め」によってあらわされている事件が起こるのは、秋であることが示されていた。これは、キリストの初臨に関する型が成就した方法に注目した時、非常に明瞭となった。 GCJap 458.1
過越の小羊をほふることは、キリストの死の型であった。パウロは次のように言っている。「わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ」(コリント第一・5章7節)。過越の祭りの時に主の前で揺り動かす初穂の束は、キリストの復活の典型であった。パウロは、主と主のすべての民との復活について、こう述べている。 GCJap 458.2
「最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち」(コリント第一・15章23節)。収穫に先立って最初に実った穀物が揺祭としてささげられたように、キリストは、将来復活の時に神の倉に収められる贖われた人々の、永遠の収穫の初穂である。 GCJap 458.3
こうした型は、その出来事だけでなくて、その時に関しても成就した。ユダヤ暦の一月一四日、すなわち一五〇〇年という長期にわたって過越の小羊がほふられてきたその月その日に、キリストは、弟子たちと過越の食事を共にし、「世の罪を取り除く神の小羊」としてのご自身の死を記念する式典を制定された。その夜、彼は悪人たちの手に捕らえられ、そして十字架にかけられて殺されることになった。そして、われわれの主は、揺祭の束の実体として、三日目に死からよみがえり、「眠っている者の初穂」となり、贖われたすべての者の「卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変え」ることを実証された(同15章20節、ピリピ3章21節)。 GCJap 458.4
これと同様に、再臨に関連した型も、象徴的奉仕の中で指示されたその時期に成就しなければならない。モーセの律法において、聖所の清め、すなわち、大いなる贖罪の日は、ユダヤ暦の七月一〇日に行われた(レビ記16章29~34節)。その日に、大祭司は、全イスラエル人の罪の贖いをなし、彼らの罪を聖所から除き、出て来て、民を祝福した。そのように、われわれの大祭司キリストがあらわれて、罪と罪人を滅ぼし、地を清め、待望していた神の民に永遠の生命を与えるものと、人々は信じた。聖所の清めの時である大いなる贖罪の日の七月一〇日は、一八四四年の一〇月二二日にあたり、その日が主の再臨の時であると考えられた。これは、二三〇〇日が秋に終結するという前記の証拠とも一致し、この結論は反論できないと思われた。 GCJap 459.1
マタイによる福音書25章のたとえでは、待機と眠りのあとに花婿が来ることになっている。これは、預言と型との両面から提示された今の議論とも一致していた。彼らは、それらが真実であることを堅く信じた。そして、「夜中の叫び」が、幾千の信徒たちによって叫ばれた。 GCJap 459.2