パウロは、コロサイ人への手紙の中で、神の子供たちに与えられる豊かな祝福について述べている。彼は言う。わたしたちが「絶えずあなたがたのために祈り求めているのは、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力とをもって、神の御旨を深く知り、主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。更にまた祈るのは、あなたがたが、神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍(ぶことである)」(コロサイ1章9~11節)。 GCJap 546.2
また彼は、エペソの兄弟たちが、キリスト者の特権の高さを理解するに至ることを望むと書いている。彼は、至高者の息子、娘として彼らが持つことのできる驚くべき力と知識を、非常に意味深い言葉で示している。彼らは、「御霊により、力をもって……内なる人」が強くされ、「愛に根ざし愛を基として生活することにより、すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、また人知をはるかに越えたキリストの愛を知」ることができる。しかし、使徒が、「神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように」と祈る時に、この特権は最高潮に達するのである(エペソ3章16~19節)。 GCJap 547.1
ここに、われわれが神の要求に応じる時に、われわれの天の父の約束を信じる信仰によって到達することのできる最高点が示されている。われわれは、キリストの功績によって、無限の力を持たれるお方のみ座に近づくのである。「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか」(ローマ8章32節)。父なる神は、み子に聖霊をあふれるばかりにお与えになった。そして、われわれもまた、霊に満たされることができるのである。イエスは言われる。「このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」(ルカ11章13節)。 GCJap 547.2
「何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう」「求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう」(ヨハネ14章14節、16章24節)。 GCJap 547.3