審判が最終的に執行される時、罪の理由は存在しないことが明らかになる。全地の審判者が、サタンに向かって「あなたはなぜわたしにそむき、わたしの国の民を奪ったのか」と聞きただされる時、悪の創始者であるサタンはなんの言いわけもできない。どの口も閉じられ、反逆者の全軍は言葉もないのである。 GCJap 580.1
カルバリーの十字架は、律法が不変なものであることを宣言しているとともに、罪の価は死であることを宇宙に宣言している。「すべてが終わった」との救い主の臨終の叫びによって、サタンに対するとむらいの鐘が鳴らされた。長い間継続されてきた大争闘はここに決定し、悪の最終的な根絶が確実となった。神のみ子は、「死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼ」すため、自ら墓の門をくぐられた(ヘブル2章14節)。ルシファーは自分が高い地位にのぼりたいとの望みから、「わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、……いと高き者のようになろう」と言ったのであったが、神はこう宣言しておられる。「わたしは……あなたを地の上の灰とした。……あなたは……永遠にうせはてる」「万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない」(イザヤ書14章13、14節、エゼキエル書28章18、19節、マラキ書4章1節)。 GCJap 580.2
全宇宙は、罪の性質とその結果について証人となるであろう。罪を徹底的に根絶することは、世の初めだったら天使を恐れさせ、神の栄えを汚したであろうが、いまでは、神のみこころを行うことを喜び、心のうちに神のおきてを持っている宇宙の全住民の前に、神の愛を立証し、そのみ栄えを確立するものとなる。もはや悪は再びあらわれてこない。「患難かさねて起こらじ」と聖書には言われている(ナホム書1章9節、文語訳)。サタンが束縛のくびきであると非難してきた神の律法は、自由の律法として尊ばれる。試練を通り越してきた被造物は、はかりしれない愛と限りない知恵のお方としてそのご品性が自分たちの前に十分にあらわされた神に対し、忠誠をひるがえすようなことはもはや二度とないのである。 GCJap 581.1