心霊術はたしかに今ではその外形を変え、不都合な点を隠して、キリスト教の装いを取っている。しかしその主張は、長年にわたって、講壇や出版物を通して公表され、その中に真の性質があらわされてきた。これらの教えは、否定することも隠すこともできない。 GCJap 646.1
心霊術は現在の形においてさえ、以前よりも容認すべき性質のものではないどころか、実際にはもっと巧妙な欺瞞であるためにいっそう危険である。それは以前にはキリストと聖書を非難していたが、今はこの両者を受け入れると公言している。しかし、生まれ変わっていない心を喜ばすような方法で聖書が解釈され、他方、聖書の厳粛で重大な数々の真理が力ないものとされている。愛は神の第一のご性質として繰り返し説明されてはいるが、善と悪をほとんど区別しない弱々しい感傷主義に堕している。神の正義、罪に対する神の非難、神の聖なる律法の諸要求は、すべて無視されている。人々は十戒は死文であると考えるように教えられる。喜ばせ魅惑するような作り話が人々の感情をとらえ、聖書を自分たちの信仰の基盤とするのを拒否させようとする。以前と同じにキリストは実際には拒まれているのであるが、サタンは人々を盲目にしてその惑わしが見分けられないようにしているのである。 GCJap 646.2
心霊術の欺瞞的な力と、その影響を受けることの危険性を、正しく認めている者はほとんどいない。多くの者は、単に好奇心を満足させるために心霊術に手を出す。彼らはそれを本当に信じているのではない。かえって霊の支配に服することを思うと恐怖で満たされる。しかし彼らは、禁じられた地に危険を顧みないで入っていく。そして強大な破壊者が、彼らの意志に反して彼らの上にその力を働かすのである。彼らが一度でもその心をサタンの命令に従わせる気になると、サタンは彼らをとりこにする。サタンの魅惑的な魔力を、自分の力で断ち切ることは不可能である。信仰の熱心な祈りに答えて与えられる神の力だけが、これらの捕らえられた魂を解放できるのである。 GCJap 647.1