罪深い性質をほしいままにしたり、知っている罪を故意に抱いている者はみな、サタンの誘惑を招く。彼らは自分を神から、また神のみ使いの守護から引き離している。悪魔が彼らを惑わす時に、彼らは、守ってくれるものもなく、容易にその餌食となる。このようにしてサタンの力に身をゆだねる者は、自分たちの道がどこで終わるかを悟らないのである。彼らを征服してしまうと、誘惑者サタンは、ほかの者を滅びにおびきよせる手先として彼らを用いる。 GCJap 647.2
預言者イザヤはこう言っている。「もし人なんじらにつげて巫女および魔術者のさえずるがごとく細語がごとき者にもとめよといわば、民はおのれの神にもとむべきにあらずや。いかで活者のために死者にもとむることを為んといえ。ただ律法と証詞とを求むべし、彼らの言うところこの言にかなわずば晨光あらじ」(イザヤ書8章19、20節、文語訳)。もし人々が、人間の性質や死人の状態について聖書の中に明らかに述べられている真理を喜んで受け入れていたら、心霊術の主張や現象の中に、力としるしと偽りの不思議とを伴ったサタンの働きを認めるであろう。しかし多くの人々は、肉の思いに都合のよい自由を放棄したり、愛好している罪を捨てたりするよりはむしろ、光に目を閉じ、警告も顧みないで突き進んでいく。するとサタンは、彼らのまわりにわなを仕掛け、彼らを捕らえてしまうのである。彼らが「自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった」から、「そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送」られるのである(テサロニケ第二・2章10、11節)。 GCJap 647.3
心霊術の教えに反対する者は、ただ人間だけではなく、サタンと悪天使たちを攻撃しているのである。彼らは、もろもろの支配と、権威と、天上にいる悪の霊との戦いに入ったのである。サタンは、天の使いの力によって撃退されないかぎり、一歩も退却しようとはしない。神の民は、救い主がなさったように、「……と書いてある」という言葉をもってサタンに対抗することができる。サタンは今もキリストの時と同様に聖書を引用できるので、自分の惑わしを支持するために、聖書の教えを悪用するであろう。この危険な時に立とうとする者は、聖書のあかしを自分で理解しなければならない。 GCJap 648.1