ローマの主権下にゆきわたった不法と霊的暗黒は、教会が聖書を抑圧したための避けられぬ結果であった。しかし、宗教自由の時代において福音の赤々とした光のもとで、不信仰が広がり、神の律法が退けられ、その結果堕落が生じた原因は、どこに見いだされるであろうか。サタンは、もはや聖書を遠ざけておくことによって世界を支配することができなくなったので、同じ目的を達成するために違った手段に訴えている。聖書に対する信仰を破壊することは、聖書そのものを破壊するのと同様に彼の目的に役立つのである。神の律法はもはや拘束力がないという信仰を導入することによって、彼は、ちょうど戒めに全く無知である場合と同じほど効果的に人々を導いて罪を犯させるのである。そしてサタンは現在も、昔の時代と同様に、教会を通して自分の計画を進めようと働いている。今日の宗教団体は、聖書の中に明白に示されている俗受けのしない真理に耳を傾けようとしない。そしてその真理と対抗するために、懐疑論の種を広くまくことになった解釈と立場を採用した。 GCJap 680.1
彼らは、人間は本来不死であって死後も意識があるというカトリック教の誤謬に固執して、心霊術の惑わしに対する唯一の防備を拒んできた。永遠に苦しめられるという教えは、多くの人々に、聖書に対する信仰を失わせた。そしてまた、第四条の要求が人々に示される時、第七日安息日の遵守が命じられていることがわかる。すると一般の多くの教師たちは、あまり守りたくない義務から逃れる唯一の道として、神の律法はもはや拘束力を持っていないと宣言する。このようにして彼らは、律法も安息日もともに捨て去るのである。安息日の改革の運動が広がるにつれて、第四条の要求を無効にするため神の律法を退けることが、ほとんど世界的になる。宗教界の指導者たちの教えは、不信仰への道、心霊術への道、そして神の律法に対する軽蔑への道を開いてきた。だから、今日のキリスト教界に存在する不法の恐るべき責任は、これらの指導者たちにあるのである。 GCJap 680.2