彼は罪からの解放と神との平和を熱心に求めて、ついに修道院に入り、修道院生活に身をささげることになった。ここで彼は、最も卑しい仕事をさせられ、戸ごとに食を乞い歩かせられた。彼は、人々から尊敬と理解を受けることを最も願う年齢であった。そして、このような卑しい勤めは、彼の生まれながらの感情からすれば、非常に苦しいものであった。しかし彼は、それが自分の罪のゆえに必要なことであると信じてこの屈辱に耐えた。 GCJap 142.2
彼は、日ごとの勤めから寸暇を見いだしては、眠る時間も粗末な食事をとる時間も惜しんで、研究に励んだ。彼は何よりも神のみ言葉の研究に喜びを感じた。彼は、修道院の壁に聖書が鎖でつながれているのを見つけたので、よくそこへ行った。彼は罪の自覚が深まるにつれて、自分自身の行いによって、赦しと平和を得ようとした。彼は非常に厳格な生活を送り、断食や夜の勤行、また体をむち打って、生まれながらの悪をおさえようとしたが、しかしこうした修道院生活によっては、なんの解放も得られなかった。彼は、神のみ前に立ち得るような心の清めを得るためには、どんな犠牲をも恐れなかった。「わたしは、実に敬虔な修道僧であった。わたしは、言葉では表現できないほど厳格に、わたしの修道会の規則に従った。もし修道僧が、修道僧としての働きによって天国に行くことができる GCJap 142.3
ならば、わたしは間違いなくその資格があったであろう。……もしあれ以上続いたならば、わたしは苦行の果てに死んでしまったことであろう」と彼は後に言っている。こうした厳しい苦行の結果、彼は衰弱し、失神の発作を起こした。そして、後になっても、それから完全に回復することはできなかった。しかし、これらすべての努力にもかかわらず、彼は心の悩みから救われなかった。彼は、ついに、絶望のふちに追いやられた。 GCJap 143.1
ルターが万事休すと思った時に、神は、彼のために一人の友人、援助者を起こされた。敬虔なシュタウピッツがルターに神のみ言葉を示して、自分から目をそらし、神の律法を犯したことに対する永遠の刑罰について考えることをやめ、彼の罪を赦す救い主、イエスを仰ぎ見るように命じた。「罪のために自分を苦しめることをせず、贖い主の腕の中に自分自身を投げ入れよ。彼を信頼せよ。彼の生涯の義と彼の死による贖罪に信頼し、……神のみ子に耳を傾けよ、彼はあなたに神の恵みの確証を与えるために、人となられた」「まずあなたを愛された彼を愛せよ」。このように、この憐れみの使者は語った。彼の言葉は、ルターの心に深い感銘を与えた。長い間抱いていた誤りについての多くの苦闘のあとで、彼は真理をつかむことができ、彼の悩み苦しんだ心に平和が与えられた。 GCJap 143.2
ルターは司祭に任じられ、修道院から召されて、ウィッテンベルク大学の教授になった。ここで、彼は、原語による聖書の研究に没頭した。彼は聖書の講義を始めた。そして、詩篇、福音書、使徒書簡などは、喜んで聞く多くの聴衆の心を啓発した。彼の友人であり先輩であったシュタウピッツは、彼に、説教壇に上って神のみ言葉を説くように勧めた。ルターは、自分はキリストに代わって人々に語る価値がないと感じてためらった。彼は、長い間の苦悩の後、初めて、友人たちの勧めに応じた。すでに彼は聖書に精通しており、 GCJap 143.3
神の恵みが彼に宿っていた。彼の雄弁は聴衆を魅了し、彼の明快で力強い真理の提示は、彼らの知性を納得させ、彼の熱情は彼らの心を感動させた。 GCJap 144.1