それでも、ルターは、カトリック教会の実子であり、それ以外の何ものにもなる考えはなかった。神の摂理によって、彼はローマを訪問することになった。彼は、途中修道院に泊まりながら、歩いて旅を続けた。彼はイタリアの修道院において、その富と壮大さとぜいたくを見、非常に驚いた。修道士たちは、王侯のような歳入を得て、華麗な部屋に住み、高価な美服を着て、ぜいたくな食卓を囲んでいた。ルターは、このような光景と自分自身の自制と苦難の生活とを比較して、疑惑に心を痛めた。彼の心は混乱してきた。 GCJap 144.2
ついに彼は、七つの丘の都〔ローマ〕を遠方に望み見た。彼は感きわまって地上にひれ伏し、「聖なるローマよ、わたしはあなたに敬意を表す」と叫んだ。彼は都に入り、教会を訪問し、司祭や修道士たちが繰り返し語る驚くべき物語を聞き、求められるままにあらゆる儀式を行った。何を見ても彼を驚きと恐怖に陥れるものばかりであった。彼は、罪悪があらゆる階級の聖職者に及んでいるのを見た。高位聖職者たちが品の悪い冗談を言うのを聞いた。そして、ミサの時にさえ見られる、彼らの恐るべき不敬行為に戦慄した。修道士や市民と交わってみると、放蕩や乱行が目についた。どこに目を向けても、神聖であるべきところに瀆神行為を見た。彼は、次のように書いている。 GCJap 144.3
「ローマにおいて、どんな罪や恥ずべき行為が行われているかは、想像もできない。実際に見聞きしなければ信じられないほどである。『もし地獄があるならば、ローマはその上に建っている。それはあらゆる罪が生じてくるところの、底知れぬ穴である』と一般に言われているほどだ」 GCJap 144.4
当時、法王の教書が発布されて、「ピラトの階段」をひざまずいて上る者にはみな、免罪が約束されていた。この階段は、救い主がローマの法廷を出る時に降りられたもので、奇跡的にエルサレムからローマに移されたものであると言われていた。ルターは、ある日、敬虔な思いをもってこの階段を上っていた。すると突然、雷のような声が、「信仰による義人は生きる」と言ったように思われた(ローマ1章17節)。彼はすぐに立ち上がり、恥と恐怖の念にかられて、その場を急いで去った。この聖句は、彼の一生を通じて、彼に力を与えた。その時以来、彼は、人間の行為によって救いを得ようとすることの誤りと、キリストの功績を絶えず信じることの必要を、これまでよりもっと明瞭に悟った。彼の目は開かれた。そして、法王制の惑わしに二度と陥ることがなかった。彼がローマに背を向けた時、彼の心もローマから離れ去っていた。そしてこの時から、隔たりは大きくなり、ついに彼は、法王教会との関係を全く断つに至った。 GCJap 145.1