彼らはその途中で、人々が悲しい予感に心を重くしているのを見た。ある町では、彼らに対してなんの敬意も示されなかった。夜、泊まったところでは、同情的な一司祭が、ルターの前に、殉教したイタリアの改革者の肖像画を掲げて、彼の憂慮をあらわした。翌日、彼らは、ルターの著書に対する有罪の宣告がウォルムスで下されたことを知った。 GCJap 175.3
皇帝の使者たちが皇帝の命令を布告し、禁じられた書籍を長官のところに持参するように、人々に呼びかけていた。使者は、会議におけるルターの安全を気づかい、すでにルターの決意は揺らいでいるものと考えて、なお彼が前進する希望であるかどうかをたずねた。彼は、「すべての町で妨害を受けようとも、わたしは前進する」と答えた。 GCJap 176.1
エルフルトでは、ルターは大いに歓迎された。彼は、賞賛する群衆に囲まれて、前によく托鉢して歩いた通りを過ぎた。彼は、彼の修道院の部屋を訪れ、当時の苦悩―─その苦悩を通して、光が彼の魂を照らし、そしてその光が、今ドイツにあふれているのであるが―─を思った。彼は、説教をするように勧められた。彼は、これを禁止されていたのであるが、使者の許しがあったので、かつては修道院の卑しい仕事をしていた者が、壇に上った。 GCJap 176.2
彼は、集まった群衆に、「平安があなたがたにあるように」というキリストの言葉をもって語りかけた。「哲学者、博士、著者たちは、永遠の生命を得る道を人々に教えてきたが、成功しなかった。わたしが今それをお伝えしよう。……神は、死を滅ぼし、罪を根絶し、陰府の門を閉じるために、一人の人、すなわち、主イエス・キリストを死からよみがえらせられた。これが救いの業である。……キリストは勝利された。これは、喜ばしい知らせである。そして、われわれは、彼の業によって救われた。われわれ自身の行為によってではない。……われわれの主イエス・キリストは、『安かれ、わたしの手を見なさい』と言われた。つまり、おお、人よ、見よ、あなたの罪を除き、あなたを贖ったのは、わたし、わたしだけである。そしてあなたは平和を得た、と主は言われるのである」 GCJap 176.3
彼は、引き続いて、真の信仰は聖い生活によってあらわされることを示した。「神は、われわれを救われたのであるから、われわれの行為が、神に受け入れられるようにしようではないか。あなたは富んでいるか。それならあなたの財産を、貧者の必要にささげよう。あなたは貧しいか。それならあなたの奉仕が富んでいる人々に喜ばれるようにしよう。もしあなたの労働が、ただあなたのためだけに役立つものであれば、神に尽くしているように見せかけている奉仕は、偽りである」 GCJap 177.1
人々は、あたかも魅せられたかのように聴き入った。これらの飢えた魂に、生命のパンが裂き与えられた。彼らの前で、キリストは、法王や法王使節、皇帝や国王たちよりも高く掲げられた。ルターは、自分の危険な立場については何も語らなかった。彼は人々に、自分のことを考えさせたり、同情させたりしようとはしなかった。彼はキリストを瞑想して、自分を見失ってしまった。彼は、カルバリーの人なるイエスの後ろに隠れ、イエスを罪人の贖い主として指し示すことだけを求めていた。 GCJap 177.2