預言者(ナービー)はもともと「呼出されたもの」という意味であることを知りましたが、誰によって、いつ、どんなふうに呼出されたのかを見てみましょう。旧約聖書の中でも偉大な預言者の1人にイザヤがいまず。イザヤという名の意味は「ヤーウエ(神)は救う」というのですが、紀元前8世紀の人です。聖書には書いていませんが、伝説によるとイザヤはウジヤという王のいとこにあたり、首都工ルサレムで政治的・宗教的参事として三代の王に仕えたようです。このイザヤの若い時の体験が、日約聖書イザヤ書第6章に書かれています。それを読むと、預言者というものが、どのように神に召されたかを知ることができます。 PK 659.4
イザヤ6:1から3までを引用しましょう。 PK 659.5
「ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。その上にセラピム(註・天使)が立ち、おのおの6つの翼をもっていた。その2つをもって顔をおおい、2つをもって足をおおい、2つをもって飛びかけり、互に呼びかわして言った。 PK 659.6
『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ』」(イザヤ6:1~3)。 PK 659.7
「ウジヤ王の死んだ年」は西暦紀元前740年ごろのことで、イザヤは宮廷の青年貴族の1人でした。ウジヤ王はまたの名をアザリヤと言い、南王国ユダの国力を飛躍的に増大させた英明な王でした。し かし、この王の晩年は彼が行った不遜な行いのため神のさばきを受け、ハンセン病になり、隔離されて生活しなければなりませんでした。またユダ王国も、広大な中東の一角に細々と余命を保つような弱小国になり下がっていったのです。ひとたび強大な外国の侵略に会えば、ひとたまりもなく滅び去っていかねばなりません。その大国アッスリヤは東方にあって、パレスチナ侵攻の準備をととのえていました。ウジヤ王の死後数年で、強国スリヤはアッスリヤ軍の侵攻をうけて滅びます。それから10年たつと、北王国イスラエルが滅ぼされます。その次はユダ王国が滅ぼされる番です。アッスリヤ軍は再三ユダに侵攻しました。ユダの王は重税をさし出してアッスリヤに屈従しました。しかしユダ王国滅亡の危機のときはありましたが、アッスリヤに隷属した100年以上ものあいだ、曲りなりにも王国の体面を維持していくことができました。こうしてユダ王国が大国アッスリヤに屈従していく過程に、預言者イザヤが生存したのです。国家の滅亡の危機が迫った時に、この預言者は立って、国を救ったのです。 PK 659.8
今、青年イザヤの経験に帰ってみまずと、このような内外の危機が風をはらんでいるとき、ウジヤ王の死は敏感なイザヤの心に鋭い危機のかげを感じさせたのでしょう。彼は神殿に行って神に祈るのです。 PK 660.1
祈っているとき、突然イザヤはこの世ならざる光景を見るのです。それは神の御座の光景でした。 PK 660.2
「わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た」。 PK 660.3
そこに天使が立ち、あるいは飛びかけり、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」と互いに呼びかわしているのです。 PK 660.4
何と厳粛な光景でしょう。大空いっぱいに神の御座の目をうばうような輝きを見、その威光に接したとき、誰しも「聖なるかな」と叫ばないわけには参りません。聖なるものはわれらから隔離しておられるお方です。われらの目をもってその本質を見ることができない方です。しかし、そこに限りない憧憬と恐れを感じさせるお方です。その力、その大いさをわれわれは測ることができません。その方の存在によって地の基はゆりうごき、天の栄光も消え去るのです。 PK 660.5
青年イザヤの目前に現れた光景は、彼の魂を畏縮させるに充分でした。「その時わたしは言った、『わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから』」(イザヤ6:5)。 PK 660.6
聖なるものが現れるとき、人間は直感的に自分の汚れを意識します。創造者が姿をあらわすとき、被造物は存在の根底をゆすぶられて恥辱にまみれます。絶対他者である神は、その現臨によって、どんなに力ある人間でも深い自己嫌悪に陥れるのです。すべての愛情の根源であり極致である方、知の全き徳を宿される方、あらゆる崇高美の極致である方。その方が立って自己を現される。その時、被造物は塵に伏すのです。 PK 660.7
イスラエルの預言者は自然界の原理を探究することに情熱を燃やしていません。万物の根本原理を考えつめるということにも余り興味はありません。世界は水から、火から、土から、空気からできているというような思弁はギリシア人にさせておけばいいのです。原理として神が存在するや否やという議論はゲルマン人にまかせておけばよしのです。預言者は神が存在するか否かを問いません。彼らはそのように問うことができないのです。なぜなら、神は彼らが探し求める前にすでにそこに現在して、彼らに自らを啓示するのです。神が自己を啓示されたものは、もはや神の臨在から離れ去ることはできません。旧約聖書の詩人はいみじくも次のように歌っています。 PK 660.8
「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろ の道をことごとく知っておられます。わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。このような知識はあまりに不思議で、わたしには思いも及びません。これは高くて達することはできません。わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます。『やみはわたしをおおい、わたしを囲む光は夜となれ』とわたしが言っても、あなたには、やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます。あなたには、やみも光も異なることはありません。あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組立てられました。わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます」(詩篇139:1~14)。 PK 660.9
もしこの詩篇に書かれていることが本当なら、何というおそろしいまでにすごい現実がここにあることでしょう。それは詩人の想像の世界のことでは決してありません。神が語り人が聞くということが、最もリアルなこととしてあるのです。 PK 661.1
残念なことに日本人の宗教経験には、神が語り人が聞くということが全く希薄です。仏教にしても、その宗教経験は瞑想か帰依かですが、そこに現実の体験を媒介にした神と人の対話はありません。つまるところ仏教の宗教経験は内なるものの開明であり、信は悟りに根拠をもちます。それと対照的に預言者の経験は、自分の内面を掘りさげたり、悟りをひらいたりという経験ではなく、自分に向かって外から語りかけてくるものに応答を迫られているものの体験です。彼の宗教体験は外から起こるのです。語りかけてくるものは神です。ここで信ということが、宗教経験のもっとも大切な土台になります。なぜなら信じ合うということが人格者相互の対話の土台になるからです。預言者には全く孤独な瞑想家はいません。彼はどこにいても、いつでも、目に見えない神と対話しているのです。その対話をはじめたのは神であり、応答を迫るのも神であり、一方、預言者は神のことばを聞き、神に心を開き、訴え、願い、求めていくのです。瞑想家はついには孤独に陥るのですが、預言者は神と共にあるのです。 PK 661.2
さて青年イザヤは、神の御座の光景を見自分の汚れにおののいたとき、神のことばを聞いたのです。 PK 661.3
「わたしはまた主の言われる声を聞いた、『わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか』。その時わたしは言った、『ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください』」(イザヤ6:8)。 PK 661.4
こうして青年預言者イザヤが神に呼び出されることになったのです。それから数10年、イザヤは困難な時代に神の意志を国民に伝える預言者のつとめを忠実に果たしました。 PK 661.5