預言者は旧新約聖書のすべての時代に現れています。聖書は人類の歴史が始まって以来、神が人に語って来られたことを記録した書物ですから、このことは当然のことです。 PK 661.6
たとえば旧約聖書の古い時代(紀元前19世紀)に、メソポタミヤからパレスチナへ移住してきたセム族のアブラハムは多くの家畜と金銀を持ち、少なくとも数百人の「家の子」、部下をもつ族長でしたが、唯一の神への熱心な信仰があったので、預言者と呼ばれています(創世記20:7)。またアブラハムは卓越した信仰によって「信仰の父」、また「神の友」と言われているのです。 PK 661.7
モーセも預言者でした。彼は最大の預言者でした。聖書には「イスラエルには、こののちモーセのような預言者は起らなかった。モーセは主が顔を 合わせて知られた者であった」と書かれています(申命記34:10)。モーセは紀元前15世紀に、イスラエル人をエジプトからパレスチナへ導き、彼らを奴隷の身分から解放しました。モーセは古今まれに見る偉大な指導者でしたが、その偉大さのヒケツは彼がつねに神と語り、神の意志をあくまでも忠実に行ったことにありました。神はモーセを通して旧約聖書中最大の啓示を与えられました。その記録がもーセの五書と呼ばれている旧約聖書の初めの5つの書物です(創世記、出工ジプト記、レビ記、民数記、申命記がそれです)。 PK 661.8
神のことばを聞き、これを人々に伝えるというつとめが預言者の本来のつとめとすれば、たしかにモーセは最大の預言者であったわけです。この意味でそのあとの時代にも次々に預言者のつとめを果たした人物が現れています。たとえば、モーセの後継者のヨシュア、また「先見者」と言われたサムエルなどがいます。預言者の歴史を見る上で、このサムエルは大切な人物です。預言者がイスラエルの国において特定の身分とみなされるようになるのがサムエルの時代から始まったとされているからです。たとえば王とか祭司が国家および宗教上の身分をあらわすように、預言者もある定まった地位を占めるようになるのです。 PK 662.1
サムエルの時代に国家としてイスラエルが統一されるのですが、そこで形成されたイスラエル王国はあくまでも預言者によって啓示される神の意志に従った国でなければなりませんでした。ですから王権の上に神権があったわけです。王や為政者たちが神のことばからはすれることがないように、預言者は常に王に対して勧告したり忠告したり警告したりしなければなりませんでした。そこで預言者自身を訓練するいわば預言者塾がこの時代に現れています。 PK 662.2
こうしてサムエルによってイスラエル統一王国がたてられ、初代の王サウルが選ばれます。しかしサウルは外敵との戦いに一生をついやしてしまい、王国統一の実をあげませんでした。次にサムエルによって任命されたのが有名なダビデ王です。ダビデは有能な人であったばかりでなく、神を敬い信仰の篤い人でしたので、イスラエル統一王国は非常に強化され、その子ソロモンの時代は王国の繁栄の頂点に達しました。紀元前10世紀のことです。 PK 662.3
ソロモン王の死後、イスラエル統一王国は分裂してしまいます。その結果、北にイスラエル王国、南にユダ王国となりました。このソロモン以後の分裂王国時代が「国と指導者」の主要な内容となるわけですが、これが人類の精神史においては意味深い高揚した時代でした。 PK 662.4
北王国イスラエルは2世紀余り続きます。その歴史はちょうどわが国の戦国時代のようです。王朝は相次ぐクーデターによって次々にくつがえされていきました。はじめは分裂した相手のユダとの戦い、次はそれに加えて北方の雄国スリヤとの戦いにあけくれました。そうこうしているうちに、はるか東方から強大な帝国アッスリヤの圧迫の手がのびてきました。そこでイスラエルは地中海にのぞむフェニキヤと同盟を結び、一致してアッスリヤ軍に当たり、1度はアッスリヤの西方侵攻に歯止めをかけます。しかし、王朝が変わり、国力が弱まると共にアッスリヤへの従属が時の勢いとなってきました。そしてついに大軍をもってスリヤを落とし、パレスチナへ侵入したアッスリヤ軍によって、イスラエル王国は次々に領土を奪われ、ついに首都サマリヤは落城し、住民は東方に連れ去られ、王国は再び興ることはありませんでした。 PK 662.5
この波乱に富んだイスラエル王国の2世紀にわたる歴史は宗教的にも動揺と背信の道をたどった歴史でした。もともとイスラエル人が砂漠からカナン(現在のパレスチナ)に侵入し、遊牧から農業に移ったとき、先住民力ナン人について農業技術を学ぶことは自然の成り行きでした。しかし、古代の援術はすべて宗教と密接に結びついていましたから、イスラエル人は農業技術と共にカナン人の神バアルと女神アシュタルテを祭ることを学んだのです。バアルとアシュタルテは天候をつかさどり、植物の 生育を支配し、すべての作物を豊かにみのらせる豊じょう神でした。しかし、イスラエル人はこれらの神々を決して信仰してはならないと、モーセによって厳しく命じられていました。 PK 662.6
イスラエル人はカナンに侵入して以来、3世紀かかってカナン征服をなし終え、統一国家をつくりあげたのですが、政治的にはカナンを征服したかに見えても宗教的にはむしろカナン人の宗教をとり入れ、名はイスラエルの神であっても、実はカナン人の神バアルを礼拝するようになったのでした。ここでイスラエル人がモーセと共に神の前に立てた契約、峻厳な人格的道徳宗教を守ることができなくなっていきました。 PK 663.1
そもそもバアルの宗教は自然宗教です。自然宗教の特徴は人間の欲望の満足です。それは人間の欲望の肯定から出発し、欲望による破局をいといまぜん。これと対照的にイスラエルの宗教は信仰と道徳律がきびしく結び合わされていました。ことにバアルの宗教との対比で注目されることは、性道徳のきびしい水準です。姦淫つまり正当な結婚による以外の性的交渉を、イスラエルではきびしく禁じていました。一方バアルの宗教では、宗教的儀式そのものが性的な頽廃をもたらしていました。このことは宗教における信仰の純粋性を守る上で大切なことでした。唯一神への忠誠を保つものは、その結婚生活においても真実な夫と妻としての信頼関係を維持していくのが当然だからです。宗教と道徳は遊離して存在するものではありません。真実な唯一神信仰は高い道徳的水準をもつものです。 PK 663.2
分裂後のイスラエル王国にかえってみますと、政治的経済的変遷の背後に、実に深刻な宗教的問題があったのです。ソロモンの王朝に反旗をひるがえして自ら北王朝をたてたヤラベアム王は、金の牡牛をつくりこれを神として人民の前にかかげ、礼拝をしました。これは典型的なイスラエルの神のバアル化でした。牡牛は生殖力の象徴です。人々はそれを熱狂的に支持したのです。 PK 663.3
古来、繁栄を望まない国民はありませんでした。しかし、その繁栄をどのようにして獲得するかが大切なことです。物質的に豊かになるためには何でもすると言って、がむしゃらに働いても、精神的に得るものは少なかったという場合があります。わたしたちの周囲にもそういう例が多いのではないでしょうか。 PK 663.4
おそらく弱小国イスラエルにとって、周囲の国々に追いつき、追いこそうという国民的な願望があったのではないでしょうか。これは南王国ユダについても言えることです。いちばん手っ取り早く、また効果的に繁栄を得る方法は、カナン人及び周囲の国々のやり方をまねることです。同盟を結んで技術者を導入することです。これはソロモン王がしたことでした。外国と政略結婚をし、物資と技術者を迎えいれ、大事業をおこして国力を増大させました。 PK 663.5
ただこの方法ですと、カナン人や外国の宗教も受けいれなければなりません。イスラエルはヤラベアム王が金の牡牛をつくって以来、200年後に滅びるまで、イスラエルの神を信じるよりはカナン人のバアル神の信仰への傾斜をずっと続け、全く異教化してしまうのです。 PK 663.6
このようなイスラエル王国に対して、神は預言者をつかわして、真の神を信仰するように語らせました。その第一入者というべき人物がエリヤ(870~852B.C.頃註・預言者の活動期間を示す、以下同じ)です。エリヤの使命はイスラエルの神とバアル神との対決を通して、真の神は誰かを力強く証言することでした。エリヤは力の預言者と呼ばれ、ただ1人でバアル神の預言者400人とカルメル山(現在のイスラエルのハイファの近くにある)で対決し、真の神の力をあらわしました。またエリヤは人間としても学ぶ価値のあるものを多くもっています。 PK 663.7
エリヤの弟子にエリシャ(852~798B.C.頃)がいました。この人も大預言者と呼ばれるにふさわしい人物でした。エリシャは信仰を説くだけでなく、民の福祉にも心を用いて働きました。彼の感化は外国にも及びました。 PK 663.8
次はアモス(767~753B.C.頃)です。アモスはもともと農夫で、自分は預言者でないと言っているのですが、すさまじいばかりの預言をしました。彼の主題は「正義の神」です。彼は素朴な農夫のことばでイスラエルにみちている不正を糾弾しました。その言葉には現代の社会に住むわれわれの心を打ち襟を正させる力があります。神のさばきび近いから、用意していなさいと彼は勧告しています。 PK 664.1
次に現れた預言者はホセア(755~725B.C.頃)です。彼は愛する妻にそむかれるという経験をもとにして、神にそむくイスラエル人の不信の罪を指摘しました。ホセアは愛の預言者と呼ばれます。彼は旧約聖書中、もっとも深く神の愛を説いた預言者でした。ホセアはイスラエルの真の神は慈愛深い父のようなお方であるばかりか、自分にそむくものに対しても忍耐強く働きかけてやまぬお方であることを熱心に語っています。そのような愛の神に対する反逆や忘恩がイスラエルの罪なのでした。この罪は偶像礼拝と国政の腐敗に現れているとホセアは主張しました。偶像礼拝は真の神を敬わず、自分の欲望に仕えることであり、国政の腐敗は相次いで起こった権力闘争、陰謀、まちがった外国依存などに表れ、その結果正義の神の存在は忘れられ、恐怖政治が行われ、詐欺や盗み、殺人、姦淫が公然と行われるようになったのです。 PK 664.2
このような国に神のさばきが下らないわけはありません。ホセアはアッスリヤの侵攻によるイスラエル王国の滅亡を予見しています。しかしホセアの預言の主題は滅びではなく、神の救いでした。「さあ、わたしたちは主に帰ろう」というのが彼の切実な叫びでした。神はイスラエルが心を変え、悔い改めることを期待しておられる。「エフライムよ、どうして、あなたを捨てることができようか。イスラエルよ、どうしてあなたを渡すことができようか。……わたしの心は、わたしのうちに変り、わたしのあわれみは、ことごとくもえ起っている。……わたしは神であって、人ではなく、あなたのうちにいる聖なる者だからである。わたしは滅ぼすために臨むことをしない」と神は言われるのです。「イスラエルよ、あなたの神、主に帰れ」という神の呼びかけは、しかしながらついに拒否されました。紀元前722年に、爪セアの絶叫が鳴りやんでまもなく、アッスリヤ軍によってイスラエルは滅ぼされたのです。 PK 664.3
北王国イスラエルは流血の権力闘争がつづき、王権はめまぐるしく移りましたが、南のユダ王国はダビデ王家の血統が連綿とつづきました。北王国イスラエルが分裂してからユダ王国はかってのダビデ、ソロモンによる統一国家にくらべると全くの弱小国となってしまいました。はじめ北王国との戦争がたえまなくありましたし、外国からの侵略にも度々でくわしました。エジプト、エチオピア、アッスリヤ、バビロニヤなどによって、ユダ王国はたえずおびやかされてきました。 PK 664.4
北のイスラエルは偶像礼拝に全く陥ってしまいましたが、南のユダはアサ、ヨシャパテ、ヒゼキヤ、ヨシヤなどの王たちが預言者の警告を聞いて改星に着手したので、ある程度偶像礼拝の腐敗から守られましたが、その400年の歴史は半ば異教化した状態にありました。 PK 664.5
アモスもユダ王国に対して神の審判を語りましたが、ユダ王国において預言者が活発な働きをした2つの時期がありました。1つはアッスリヤの轍のもとにあった時期で、もう1つはバビロニヤの侵攻による亡国の危機のときでした。 PK 664.6
アッスリヤが強大になって西のシリヤ、パレスチナ方面に侵攻してきたのは紀元前8世紀に入って賢もなくでしたが、ユダ王国がアッスリヤに影響を感じるようになったのは、アハズ王の時からで紀元前8世紀の後半でした。このころ貧農ミカと貴族イザヤが預言者として活躍しました。 PK 664.7
ミカ(740~700B.C.頃)はイスラエルの罪を3つあげています。第一は金持ちや権力のあるものたちの高慢、第二は政治家の堕落、最後に宗教家の腐敗です。ミカは貧農の立場から神にそむいた者師の荒廃を語り、「悲惨な滅び」を預言しました。しかし彼の使信の中心は次のことばに要約されてい ます。 PK 664.8
「人よ、彼はさきによい事のなんであるかをあなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだりてあなたの神と共に歩むことではないか」(ミカ6:8)。 PK 665.1
イザヤ(745~685B.C.頃)は旧約聖書中最も深い洞察力をもった預言者であり、その神学思想は卓越したものがあります。イザヤの召命の体験についてはすでにのべましたが、彼はアッスリヤの圧倒的な脅威におののくユダ王国を、信仰によって励まし、ついにその軍隊を敗走させました。また彼は神の救いの力と救いの確実さを強調しています。 PK 665.2
以上、アッスリヤ支配下にあった時代の預言者についてのべました。つぎは、アッスリヤが衰亡して次の世界的な大国としてのし上がってきたバビロニヤの時代に移ります。預言者イザヤの死後、数十年たっています。 PK 665.3
すでにユダ王国は当時の世界的な大国の間にあって、とるに足らない弱小国となっていました。それでも北王国が滅亡してから1世紀以上つづいたのは奇蹟に近いことでした。この間に、青年王ヨシヤによる真の神への信仰を回復させる改革が行われましたが、神の選民であることを自認していながら、ユダヤ人たちはなお不信仰の道を歩んでいました。 PK 665.4
バビロニヤがアッスリヤを滅ぼしたのは紀元前612年のことですが、その軍勢はまもなくシリヤ、パレスチナ方面の侵略を始めました。ユダ王国は長い間アッスリヤに重税をはらって、その属国となっていましたが、新しいバビロニヤの出現によってユダ王国の対外政策は定まりのないものになってしまいました。国内にバビロン党とエジプト党ができて、争い合う結果になりました。 PK 665.5
神はユダ王国のために何人も預言者を送られました。ナホム、ハバクク、ゼパニヤ、ヨエルなどの預書者がつかわされましたが、何といってもエレミヤがこの時代の最大の預言者でした。 PK 665.6
エレミヤ(627~580B.C.頃)はエルサレムからあまり遠くないアナトテという村で、祭司の子として生まれました。彼の青年時代には理想主義を掲げたヨシヤ王の改革が行われ、エルサレムの動きは若いエレミヤの心をゆすぶったにちがいありません。青年工レミヤはある日、神の声を聞くのです。「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」(エレミヤ1:5)。 PK 665.7
内気で細かい感受性をもっていたエレミヤは、この神の召しを前にして躊躇しました。しかし、神の命令は動きません。ついに彼は預言者として最も深刻な悩みを経験し、「涙の預言者」と呼ばれるのです。愛する母国、愛する町工ルサレムがバビロニヤ軍によって破壊され、多くの同胞が捕らえられ、あるものは殺され、あるものはバビロンへ連れ去られていくのをエレミヤは悲痛な思いで目撃しました。そしてそれはエレミヤ自身が長い間神のさばきとして予言してきたことの実現であったのです。 PK 665.8
エルサレムがバビロニヤ軍の手に落ちて、ほとんどの住民がバビロンへ連れ去られたあとには、わずかな名もない人々が住むだけとなってしまいました。バビロンでユダの人々は必ずしも奴隷のような生活をしたわけではありません。早くから異国の土地になれて、商業や金融業に頭角をあらわすものがありました。しかし亡国の民であることには変わりありません。彼らは、「バビロンの川のほとりにすわり、シオン(註・エルサレム)を思い出して涙を流した」のです(詩篇137:1)。 PK 665.9
バビロン捕囚の民にも神は預言者をつかわされました。ダニエル(603~535B.C.頃)とエゼキエル(593~570B.C.頃)です。ダニエルはユダ王国の貴族の出身ですが、バビロニヤ王ネブカデネザルに捕虜として連れ去られたときは18才のころと思われます。しかしバビロン王宮でめきめき頭角をあらわし、王の側近として高い地位を占めるものとなりました。のちにバビロニヤがペルシャによって滅ぼされますと、ダニエルはペルシャ王にも仕えるよ うになります。ダニエルの生涯を特徴づけるものは徹底した敬虔さです。彼もエレミヤと同じように「万国の預言者」として召され、世界の諸国の運命と世の終わりに起こることについて預言します。 PK 665.10
エゼキエルもダニエルと同じ貴族の青年で祭司でした。彼はダニエルより数年あとにバビロンに連れ去られます。彼は捕囚のユダヤ人のために励ましを与える預言者となりました。エゼキエルによってユダヤ人は祖国再建の希望を与えられます。 PK 666.1
バビロニヤ王国は強大な国でしたが、短命でした。それを滅ぼしたのはペルシャで、のちに大帝国となります。ペルシャの英雄クロス王は異民族に寛容な政策をとり、ユダヤ人が父祖の地に帰還することを許しました。 PK 666.2
ユダヤ人のエルサレム帰還は、決してやさしい事業ではありませんでした。さまざまな困難に直面して、ややもすると失望しがちな人々を励まし、エルサレム再建という民族的な仕事をするには、やはり預言者の活動が必要でした。ハガイ(520B.C.頃)やゼカリヤ(520~518B.C.頃)は外敵の妨害を受けながら神殿再建にとり組んでいるユダヤ人に、将来の光栄に満ちた神殿を画いてみせて彼らを励ましました。これらの預言者たちの働きによって、ユダヤ人は新しい力をうけ、神殿を立派に再建することができました。 PK 666.3
このほかアッスリヤの首都ニネベで預言したヨナとか、旧約聖書に出てくる最後の預言者マラキとかがいます。また預言書は書きませんでしたが、偉大な働きをした預言者のことも聖書は書いています。 PK 666.4