イエスがわれわれのために仕えておられる天の聖所は、大いなる原型であって、モーセが建てた聖所は、その写しであった。神は、地上の聖所の建設者たちに、神の霊をお与えになった。その建設にあたってあらわされた芸術的技量は、神の知恵を表示していた。 GCJap 474.3
壁は、全体が巨大な金塊のように見え、金の燭台の七つのともし火の光が、四方に反射していた。供えのパンの机と香壇は、よくみがいた金のように輝いていた。天井になっていた華麗な幕には、青、紫、緋色で天使が織り出されて、いっそうの美しさを添えた。そして、第二の幕の向こうには、神の栄光の目に見えるあらわれである聖なるシェキーナーがあり、大祭司以外のだれ一人、その前に立って生き得る者はいなかった。 GCJap 475.1
地上の聖所の比類のない壮麗さは、われわれのさきがけであられるキリストが神のみ座の前で仕えておられる天の宮の栄光を、人間の目に映すものであった。王の王の住居において、彼に仕える者は千々、彼の前にはべる者は万々(ダニエル書7章10節参照)。輝く守護セラピムが、崇敬のうちに顔を覆うところの、永遠のみ座の栄光に輝く宮に比べるならば、人間の手で造られた建造物は、たとえどんなに立派であっても、その壮大さと栄光のかすかな反映にすぎない。しかし、そうはいっても、天の聖所に関する重大な真理と、人間の贖罪のために行われた偉大な働きとは、地上の聖所とその奉仕によって教えられたのであった。 GCJap 475.2
天の聖所の聖所と至聖所は、地上の聖所の二つの部屋によってあらわされている。使徒ヨハネは、幻の中で、天にある神の宮を見ることを許された時、「七つのともし火が、御座の前で燃えてい」るのを見た(黙示録4章5節)。彼は、一人の天使が、「金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈に加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった」のを見た(黙示録8章3節)。ここで、預言者は、天の聖所の第一の部屋を見ることを許された。そして、そこに、地上の聖所の金の燭台と香壇によってあらわされていたところの、「七つのともし火」と「金の祭壇」を見た。再び、「天にある神の聖所が開けて」(黙示録11章19節)、彼は、奥の幕の中の、至聖所を見た。彼はここで、「契約の箱」を見た。それは、神の律法を入れるためにモーセが作った聖なる箱によってあらわされていたものであった。 GCJap 475.3
こうして、この問題を研究していた人々は、天に聖所があるという疑う余地のない証拠をつかんだ。モーセは、示された型に従って、地上の聖所を造った。パウロはその型となった天の聖所が、真の聖所であると教えている。そしてヨハネは、それを天に見たと証言している。 GCJap 476.1
神の住居である天の宮において、そのみ座は、義と公正に基づいている。至聖所には、正義の規準である神の律法があって、全人類がそれによって審査されるのである。律法の板を入れた箱は、贖罪所で覆われていて、その前でキリストは、ご自分の血によって罪人のためにとりなしをなさる。こうして、人類の贖いの計画における、義といつくしみの結合があらわされている。この結合は、無限の知恵のお方のみが考案し、無限の力のお方のみが成し遂げることができた。この結合は、全天を、驚異と賛美で満たすものである。うやうやしく贖罪所を見おろしている、地上の聖所のケルビムは、贖罪の業に対する天の軍勢の深い関心をあらわしている。これは、天使たちもうかがい見たいと願っている、憐れみの神秘である。すなわち、悔い改めた罪人を義とし、堕落した人類との交わりを回復するとともに、神自らが義となられること、また、キリストが、ご自分の身を低めて、無数の群衆を滅びの淵から引き上げ、彼ご自身の義の汚れない衣を着せて、彼らを堕落しなかった天使たちとの交わりに入れ、神の前に永遠に住まわせられること、このことである。 GCJap 476.2