これは、なんと厳粛な思想であろう。毎日毎日が永遠の中に過ぎ去り、その日のことが天の書に記録される。一度口に出した言葉、一度行った行為は、二度と取り返すことができない。天使は、善悪ともに記録しているのである。この世のどんなに偉大な征服者でも、ただ一日の記録さえ取り消すことはできない。われわれの行動、言葉、そして極秘の動機でさえも、みな、われわれの運命を禍福いずれかに決定する重要な役割を持っている。たとえわれわれが忘れていても、それらは、義とするかそれとも罪に定めるかの、証言を立てるのである。 GCJap 559.2
芸術家のよく磨かれた金属板に、人間の顔かたちが正確に反映されるように、人の品性も天の書物に、そのまま描写されている。にもかかわらず人々は、天の存在者たちに見られねばならないその記録について、憂慮することのなんと少ないことであろう。もし、見える世界と見えない世界とを隔てている幕が取り除かれて、人々が、審判において再び直面しなければならないすべての言行を、天使たちが記録しているのを見ることができるならば、日ごとに語られるどれだけ多くの言葉が、語られずにすみ、どれだけ多くの行為が、なされずにすむことであろう。 GCJap 559.3
審判の時には、すべての才能の用途が詳しく調べられる。われわれは、天から貸し与えられた資本をどのように用いたであろうか。主は、来られる時に、ご自分のものを利子とともにお受けになるであろうか。 GCJap 560.1
われわれは、肉体的、精神的、知的に託された力を活用して、神に栄光を帰し、世界に祝福をもたらしたであろうか。われわれは、時間、筆、声、金銭、影響力などを、どのように用いたであろうか。貧しい人、苦しんでいる人、孤児や寡婦を助けて、キリストのために何をしてきたであろうか。神はわれわれを、神のみ言葉の保管者となさった。そしてわれわれは、救いに至る知識を人々に伝えるために、われわれに与えられた光と真理を、どのようにしてきたであろうか。キリストを信じるとただ表明するだけではなんの価値もない。行為にあらわされた愛だけが、本物とみなされる。神の目の前で、行為を価値あるものにするのは、愛だけである。愛によって行われたことは、人間がどんなに低く評価しようとも、神に受け入れられ、報われるのである。 GCJap 560.2
人々の隠れた利己心が、天の書の中であらわにされている。同胞に対して義務を怠ったことが記録され、救い主の要求を忘れたことが記録されている。キリストに属する時間、思想、能力を、なんとたびたびサタンに与えたかを、彼らはそこに見るのである。天使が天にたずさえていく記録は、実に悲しいものである。キリストの弟子であると称する英知ある人間が、世的財産の蓄積や、地上の快楽の追求に没頭している。金銭、時間、能力は、虚飾と放縦の犠牲になっている。しかし、祈りや聖書研究にあてられる時間、魂のへりくだりと罪の告白にあてられる時間は、ほとんどないのである。 GCJap 560.3
サタンは、数えきれないほど多くの策略を考え出してわれわれの心を捕らえ、われわれが最もよく知っていなければならない働きそのものについて、われわれに考えさせまいとしている。大欺瞞者サタンは、贖罪の犠牲と全能の仲保者を明らかにする大真理を憎んでいる。イエスと彼の真理から人々の心をそらすことに、万事がかかっていることを、彼は知っているのである。 GCJap 561.1