苦難に勝つ
- まえがき
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- 第一章 人類救済への神の計画
- 第二章 十二弟子の訓練
- 第三章 大いなる任命
- 第四章 聖なる霊下る
- 第五章 聖霊の働き
- 第六章 美しの門での奇跡
- 第七章 偽善が招いた死
- 第八章 ユダヤ議会での証言
- 第九章 組織と指導者
- 第一〇章 ステパノの弁明
- 第一一章 へだての壁を越えて
- 第一二章 迫害者から弟子へ
- 第一三章 砂漠での内省の日日
- 第一四章 神は人をかたより見ない
- 第一五章 牢獄から救われたペテロ
- 第一六章彼らは“クリスチャン”と呼ばれた
- 第一七章パウロの第一次伝道旅行
- 第一八章豹変した群衆
- 第一九章エルサレム会議
- 第二〇章パウロの第二次伝道旅行
- 第二一章エーゲ海を渡る
- 第二二章テサロニケでの働き
- 第二三章文化の中心アテネにて
- 第二四章退廃の都コリントにて
- 第二五章テサロニケ教会への手紙
- 第二六章 植える者と水をそそぐ者
- 第二七章 エペソでのめざましい働き
- 第二八章 銀細工人たちの騒動
- 第二九章 共に悩み、共に喜ぶ
- 第三〇章 競走に勝ち抜くために
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苦難に勝つ
神から与えられた使命を達成するために、パウロは自分に割り当てられた苦難の道を一歩一歩踏みしめながら歩いていった。そして彼はイエスの使徒にふさわしく、苦難を克服する独自の道を開いていったのである。パウロは次のように言う。AAJ 7.2
「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。」2ローマ人への手紙五ノ三-五。AAJ 7.3
なぜパウロにおいては患難をいとい、恐れ、その場逃れの手段をろうして苦痛を避けようともがき、ついには自分に失望するという順序にならないのだろうか。患難を希望にまで高める何も のかをパウロは持っていたのである。AAJ 7.4
パウロはさらに患難について語っている。「わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。」3コリント人への第二の手紙四ノ八、九。AAJ 8.1
これは何としぶとく、強靭な態度であろう。このように落ちついて語ることができるまでには、多くの患難を経た経験があったのであろう。彼は「いつもイエスの死をこの身に負うている」4コリント人への第二の手紙四ノ一〇。と言った。この言葉はパウロがいつもイエスの十字架を背負って歩んだことを示している。イエスと共に死ぬ経験を重ねて、パウロは世の何ものも与えることのできない最高の価値あるものを得たのである。彼がイエスと共に死ぬのは、「イエスのいのちが、この身に現れるため」であった。「イエスのいのち」それは死を克服したいのちである。死と共に人間を束縛し堕落させるあらゆる力に勝利したいのちである。どんなに深い絶望も希望に変える神の恩恵である。不信と恐怖をぬぐい去り、平安と信頼にみちた生活に入らせる力である。AAJ 8.2
イエスよ、あなたを知ったいま、わたしには他に価値あるものを見いだすことはできません。イエスよ、あなたはわたしのすべての苦難の歩みをわたしと共にして下さいました。わたしはただ、あなたがたどられた十字架の道を、あなたに従って歩むだけです。パウロは自分の道を時には孤独に歩みながら、イエスと語っていた。AAJ 8.3
パウロは苦しみを知り、そして人生を知った。われわれは苦悩を避けようとして、あらゆる努力をつくしている。だが本当に価値のあるものは快楽より苦悩において発見されるのである。苦 しみのなかから何か非常に大きな救いとなるようなことが生じてくることを新約聖書の信仰は語っているのである。AAJ 8.4
「このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させ」てくれるとパウロは書いた。われわれにとって「軽い患難」とは何であろうか。また「重い栄光」とは何であろうか。もし「患難から栄光へ」が神の定める道であるならば、勇気をもってその道に歩もうではないか。AAJ 9.1