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キリストの実物教訓 - Contents
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    その他のタラント

    特別な聖霊の賜物だけが、このたとえの中で表示されているタラントではない。タラントというのは、先天的であろうが、後天的であろうが、一般的なものであろうと霊的なものであろうと、すべての賜物と才能のことである。これを、すべて、キリストのための奉仕に用いなければならない。わたしたちは、キリストの弟子になったのであるから、自分自身と持っているすべての物をささげて、キリストに従うのである。すると、キリストは、これらの賜物を清め高尚にして、再びわたしたちに返してくださるから、わたしたちは、同胞を祝福するためにそれを用いて、神の栄光をあらわすようになるのである。COL 1313.3

    神は、「それぞれの能力に応じて」、すべての者にお与えになった。タラントは、無計画に与えられるものではない。5タラントを使用する能力のある者は、5タラントが与えられた。2タラントを活用することができる者は、2タラントを受けた。1タラントだけを賢明に用いることができる者は、1タラントを受けたのである。だれも、大きな賜物を受けなかったからといって悲しむ必要はない。すべての者に賜物をお与えになった神は、賜物の大きい小さいにかかわらず、それが活用されることによって栄えをお受けになるからである。5タラントをさずけられた者は、5タラントを活用し、1タラントだけを与えられた者は、1タラントを活用しなければならない。神は、「持たないところによらず、持っているところによって」、人が返すことを望んでおられるのである(Ⅱコリント8:12)。COL 1313.4

    たとえに、「5タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに5タラントをもうけた。2タラントの者も同様にして、ほかに2タラントをもうけた」とある。COL 1313.5

    タラントは、どんなに小さくても、活用しなければならない。わたしたちが、何よりも心に留めなければならないことは、どれほど受けたかということではなくて、現に与えられているものをどのように活用しているか ということである。わたしたちのすべての能力を発達させることが、わたしたちの神と同胞に対して果たさなければならない第一の義務である。日々自分の能力と有用さを発達させていない者は、人生の目的を果たしているとは言えない。キリストを信じると告白することは、主のために働く者として、最善を尽くして、向上することを誓約することである。そして、わたしたちの力の限り最大の善をするために、すべての能力を、最高の完全状態に発達させなければならない。COL 1313.6

    主は、大事業をなしとげようとしておられる。そして、この世で、忠実に真心から最大の奉仕をする者には、来世において、最大のものを主はお与えになる。主は、ご自分のために働く者を選んで、日々、彼らを種々な環境の下において、ご自分の計画に従って試練をお与えになる。神の計画を成就しようと真心からの努力をする者を主が選ばれるのは、彼らが完全であるからではなくて、彼らが、神と結合することによって完全に到達できるようになるためである。COL 1314.1

    神は、高い目標を目指すことを決心した者だけを、お受けいれになる。神は、すべての人間が、最善を尽くすように義務づけられた。道徳的完全が、すべての者に要求されている。悪を行う傾向に対しては、先天的であろうが、後天的なものであろうが、そのような傾向と妥協するために、義の標準を下げてはならないのである。品性が不完全であることは、罪であることを知らなければならない。品性の正しい属性は、ことごとく、完全な調和のとれた全体として神の中に宿っている。そして、キリストを、自分の救い主として受け入れた者は、これらの属性をみな持つ特権が与えられている。COL 1314.2

    神と共に働く者となることを願っている者は、体のすべての器官と精神の能力とを完全な状態にするように努力しなければならない。真の教育とは、あらゆる義務を遂行することができるように、身体的、知的、道徳的能力を準備することである。それは、体と心と魂を神の奉仕のために訓練することである。これは、永遠の生命につながる教育である。COL 1314.3

    神は、すべてのクリスチャンが、あらゆる面において、力量を増し、能率をあげることを求めておられる。キリストは、ご自身の血と苦悩という代価を、わたしたちのために支払われた。そして、わたしたちが、喜んで奉仕することを待っておられるのである。主は、わたしたちがどのように働き、またどのような精神で働くべきであるかの実例を示すために、この世界に来られた。また主は、どうすれば神の働きを前進させ、神のみ名の栄えになるかを、わたしたちが研究することを望んでおられる。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」とある。この父に、わたしたちの最高の愛と献身とをささげて、栄光を帰すことを研究するように、主は望んでおられる(ヨハネ3:16)。COL 1314.4

    とは言うものの、キリストは、品性を完成することがやさしいことであるとは、保証しておられない。高潔で円満な品性というものは、親から遺伝的にうけつぐものではない。また、偶然、ころがり込むものでもない。高潔な品性は、キリストの功績と恵みによって、人々が努力することによって得られるものである。神は、タラント、すなわち、精神の能力をお与えになる。そして、わたしたちが、品性を形成するのである。品性は、自己との厳しい戦いによって形成される。生来の傾向に対しては、争闘に次ぐに争闘をもって当たらなければならない。わたしたちは、厳しく自己を批判して、1つとして汚点を取り除かないで放っておくようなことをしてはならない。COL 1314.5

    わたしは、自分の品性の欠点を正すことはできない、などとだれも言ってはならない。そう思い込んでしまえば、決して永遠の生命を受けることはできない。不可能であるということは、自分の心の中で、そう思ってしまうからである。勝とうと思わなければ、勝つことはできない。心が清めを受けずに汚れていることと、神の支配に喜んで従わないことから、本当に困難なことが生じるのである。COL 1314.6

    すぐれた働きをするように、神から資格を授けられた人々の多くがなぜ、なんらなすところがないかというと、彼らは、何もしようと努力しないからである。世 には、なんの確かな目的ももたず、なんの標準もなく一生を送っている人が、多くいる。このような人は、彼らのしわざに相応した報いを受ける。COL 1314.7

    人間は、自分が定めた標準以上には、出ることができないことを記憶しなければならない。そこで、どんなに苦しく、克己と犠牲が要求される時にも、標準を高くし、進歩の階段をのぼらなければならない。なににも妨げられてはならない。どんな人であっても、運命の網に捕らえられて、どうにも身動きができないほどに、固く縛られている人はない。難局に当面した場合には、それに打ち勝つ決心がなければならない。1つの障害を打ち破ると、前に進むいっそうの能力と勇気がわいてくるものである。正しい方面に向かって断固として進む時、環境は、妨げとはならず、かえって、わたしたちの助けとなるのである。COL 1315.1

    わたしたちは、主の栄光のために、あらゆる品性の徳を養うように熱望しなければならない。品性建設のあらゆる面において、神を喜ばせなければならない。これはわたしたちにもできることである。エノクは、堕落した時代に生存しながら、神を喜ばせた。現代にも、エノクのような人々がいる。COL 1315.2

    どんな誘惑にも屈しなかった、忠実な政治家ダニエルのように、わたしたちも立たなければならない。わたしたちを愛し、わたしたちの罪をあがなうために、その命を捨ててくださった主を失望させてはならない。「わたしから離れては、あなたがたは何1つできないからである」と主はおおせになる(ヨハネ15:5)。これを忘れないでほしい。もし過ちを犯した場合には、その過ちを認めて、それを再びくり返さないように戒めとするならば、勝利を収めたことになる。こうして敗北を勝利にかえ、敵に乗ぜられることなく、あがない主にほまれを帰すことになるのである。COL 1315.3

    神のかたちにかたどって形成された品性は、この世から来たるべき世界に持って行ける唯一の宝である。この世で、キリストの教えを受けた者は、その身につけた神の性質を全部天の住居に持っていくのである。そして、天では絶えず成長する。であるから、この世で品性を形成することは、非常に大切なことである。COL 1315.4

    完全な品性は、人を完全な行動にまで高めるから、それを確固たる信仰をもって求める者には、天使も協力して働くのである。この働きに加わっているすべての者に対して、わたしはあなたの右にあってあなたを助けると、キリストは言われる。COL 1315.5

    人間の意志が、神の意志と協力すると、どんなことでもできるようになる。神がお命じになったことは、神の力によって完成することができる。神のお命じになることはどんなことでも、成しとげることができるのである。COL 1315.6

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