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患難から栄光へ - Contents
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    第47章 最後の逮捕

    ローマで釈放されてのちの、パウロの諸教会における働きは、敵の目に留まらずにはいなかった。ネロのもとに迫害が起きて以来、クリスチャンはどこへ行っても禁止された宗派であった。しばらくすると、信じようとしないユダヤ人たちは、ローマの大火を扇動したという罪を、パウロに負わせようと考えついた。彼らの中のだれ1人、パウロにその罪があるなどとは一瞬たりとも考えたことはなかった。しかし少しでも、もっともらしく見えさえすれば、このような告発によってパウロの運命が定まることを、彼らは知っていた。彼らの活動によって、パウロは再び捕らえられ、最後の投獄へと追いたてられた。AA 1542.3

    ローマへの2度目の船旅には、パウロは以前の仲間数人を伴っていた。他の者たちも、彼と運命を共にしたいとせつに望んだが、パウロは、彼らの生命を危険にさらさせることを許さなかった。彼の前途の予想は、前回の投獄の時よりずっと不利なものであった。ネロのもとに行われた迫害のために、ローマにいたクリスチャンの数はひどく減ってしまっていた。何千もの人々が信仰のために殉教し、多くの者が町を去っていて、残った人々は非常に意気消沈し、おびえていた。AA 1542.4

    ローマに着くと、パウロは陰気な地下牢に入れられた。彼は、人生行路が終わるまで、そこにとどまることになった。都市と国家に対する、最も卑劣で最も恐るべき罪悪を扇動したという告発を受けて、パウロは天下ののろいのまとであった。AA 1542.5

    使徒パウロの重荷を分かち合っていた少数の友人たちは、今、ある者は彼を見捨てて、また他の者は諸教会への任務を帯びて、彼のもとを去りはじめた。最初に去った者はフゲロとヘルモゲネであった。それからデマスが、困難と危険の雲行きが濃くなっていくのにろうばいして、迫害されている使徒を見捨てた。クレスケンスはパウロに遣わされてガラテヤの教会へ行き、テトスはダルマテヤに、テキコはエペソに行った。パウロはこの経験をテモテに書き送り、「ただルカだけが、わたしのもとにいる」と述べた。(Ⅱテモテ4:11)。使徒パウロは、老齢と辛苦と病気とのために弱 り、ローマのしめった暗い地下牢に閉じこめられていたこの時ほど、兄弟たちの奉仕を必要とした時はなかった。愛する弟子であり忠実な友であったルカの奉仕は、パウロにとって大きな慰めであり、彼のおかげでパウロは、兄弟たちや外の世界と連絡をとることができた。AA 1542.6

    この試みの時にパウロの心は、オネシポロがしばしば訪ねてくれたことで励まされた。心の温かいこのエペソ人は、力の限りをつくして、獄中の使徒の重荷を軽くした。オネシホロ自身は自由であったが、彼の愛する師は真理のためにつながれていた。だから彼は、パウロの運命をもっと耐えやすいものにするためには、どんな努力も惜しまなかった。AA 1543.1

    使従は、彼の書いた最後の手紙の中で、この忠実な弟子についてこう語っている。「どうか、主が、オネシポロの家にあわれみをたれて下さるように。彼はたびたび、わたしを慰めてくれ、またわたしの鎖を恥とも思わないで、ローマに着いた時には、熱心にわたしを捜しまわった末、尋ね出してくれたのである。どうか、主がかの日に、あわれみを彼に賜わるように」(Ⅱテモテ1:16~18)。AA 1543.2

    愛と同情への欲求は、神ご自身によって人の心に植えつけられる。キリストは、ゲッセマネの園での苦悩の時、弟子たちの同情を切望された。そしてパウロも、困難や苦しみなどは気にかけないように見えたが、同情や交わりをせつに求めていた。オネシポロの訪問は、パウロが孤独で見捨てられていた時にも彼がパウロに誠実だったことをあかしするものであり、他の人々のために奉仕の生涯をささげてきた使徒を、喜ばせ、励ましたのである。AA 1543.3

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