第30章 大国アッスリヤからの解放
- 序
- 第1章 ソロモン王の選択
- 第2章 エルサレム神殿の建設
- 第3章 繁栄の落とし穴
- 第4章 権力者が倒れるとき
- 第5章 ソロモン王の改心
- 第6章 王国の分裂
- 第7章 悲劇の王ヤラベアム
- 第8章 急速にひろがった背信
- 第9章 預言者エリヤの出現
- 第10章 罪を責める声
- 第11章 カルメル山の対決
- 第12章 砂漠へ逃れる預言者
- 第13章 失敗から立ちあがる
- 第14章 預言者エリヤの力
- 第15章 妥協するヨシャパテ王
- 第16章 アハブ家の没落
- 第17章 預言者エリシャの召し
- 第18章 悪水を良水にかえる
- 第19章 平和をつくり出す人
- 第20章 大国シリヤからの訪問者
- 第21章 預言者工リシャの貢献
- 第22章 アッスリヤの首都ニネベ
- 第23章 大国アッスリヤの支配
- 第24章 破滅を定めるもの
- 第25章 預言者イザヤの召し
- 第26章 「あなたがたの神を見よ」
- 第27章 大国に援助を求めたアハズ王
- 第28章 熱心な改革者ヒゼキヤ王
- 第29章 虚栄のつけ
- 第30章 大国アッスリヤからの解放
- 第31章 諸国民の希望
- 第32章 暗黒時代をもたらしたマナセ王と改革の星ヨシヤ王
- 第33章 律法の書の発見
- 第34章 立ちあがった預言者エレミヤ
- 第35章 破滅が近い
- 第36章 ユダ王国の最後の王
- 第37章 バビロン捕囚
- 第38章 暗黒を貫く光
- 第39章 バビロン王宮の4青年
- 第40章 ネブカデネザル王の夢
- 第41章 火の燃える炉からの救い
- 第42章 真の偉大さとは何か
- 第43章 目に見えない守護者
- 第44章主義に固く立つ
- 第45章 バビロン捕囚から帰る
- 第46章敵対者に直面して
- 第47章大祭司ヨシュアと天使
- 第48章 権力をこえる力
- 第49章 王妃エステルの決心
- 第50章 学者エズラに導かれた改革
- 第51章 精神の大覚醒
- 第52章 総督ネヘミヤの活躍
- 第53章 市街の建てなおし
- 第54章 搾取に対する譴責
- 第55章 隣国の陰謀
- 第56章 律法の公布
- 第57章 改革が始まる
- 第58章 救い主を待望する人々
- 第59章 理想のイスラエル
- 第60章 栄光にみちた国が来る
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第30章 大国アッスリヤからの解放
アッスリヤの軍勢がユダの国内を侵略し、エルサレムを破滅から救うものが何もないように思われた、重大な国家的危機において、ヒゼキヤは国中の軍勢を集結させ、不屈の勇気をもって異教の圧制者に抵抗し、主の救いの力に寄り頼んだのである。「心を強くし、勇みたちなさい。アッスリヤの王をも、彼と共にいるすべての群衆をも恐れてはならない。おののいてはならない。われわれと共におる者は彼らと共におる者よりも大いなる者だからである。彼と共におる者は肉の腕である。しかしわれわれと共におる者はわれわれの神、主であって、われわれを助け、われわれに代って戦われる。」とヒゼキヤはユダの人々を訓 戒した(歴代志下32:7、8)。PK 520.6
ヒゼキヤが結果について確信をもって語り得たことは、理由がないわけではなかった。勝ち誇ったアッスリヤ人は一時諸国を罰する神の怒りのむちとして神に用いられたのであったが、いつまでも勝利することはできなかった(イザヤ10:5参照)。幾年か前にイザヤは、シオンに住む人々に次のような主の言葉を伝えていたのである。「アッスリヤびと……を恐れてはならない。ただしばらくして、……万軍の主は、むかしミデアンびとをオレブの岩で撃たれた時のように、彼らにむかって、むちをふるわれる。またそのつえを海の上にのばし、エジプトでなされたように、それをあげられる。その日には、彼の重荷はあなたの肩からおり、彼のくびきはあなたの首から離れる」(同10:24~27)。PK 521.1
「アハズ王の死んだ年」に与えられたもう1つの預言の言葉の中で、預言者は次のように宣言した。「万軍の主は誓って言われる、『わたしが思ったように必ず成り、わたしが定めたように必ず立つ。わたしはアッスリヤびとをわが地で打ち破り、わが山々で彼を踏みにじる。こうして彼が置いたくびきはイスラエルぴとから離れ、彼が負わせた重荷はイスラエルびとの肩から離れる』。これは全地について定められた計画である。PK 521.2
これは国々の上に伸ばされた手である。万軍の主が定められるとき、だれがそれを取り消すことができるのか。その手を伸ばされるとき、だれがそれを引きもどすことができるのか」(同14:28、24~27)。PK 521.3
圧制者の力はくじかれるのであった。しかしヒゼキヤは彼の治世の初期においては、アハズが結んだ協定に基づいてアッスリヤに貢ぎ物を納めていた。一方王は「つかさたちおよび勇士たちと相談して」、王国を防衛するためにできる限りの手をつくした。彼は、エルサレム城内においては水の供給が十分あるようにする一方、城外では水が欠乏するようにした。「ヒゼキヤはまた勇気を出して、破れた城壁をことごとく築き直して、その上にやぐらを建て、その外にまた城壁を巡らし、ダビデの町のミロを堅固にし、武器および盾を多く造り、軍長を民の上に置」いた(歴代志下32:3、5、6)。包囲に備えて、なし得ることでしなかったことは何1つなかった。PK 521.4
ヒゼキヤがユダの王位についた時には、アッスリヤはすでに多数のイスラエル人を北王国から捕虜として連れ去っていた。そして彼が治め始めて数年しか経たず、彼がまだエルサレムの防衛を強化していた時に、アッスリヤはサマリヤを包囲してこれを占領し、10部族をアッスリヤ領土内の多くの地域に離散させたのである。ユダの国境はほんの数マイルの距離のところにあり、エルサレムも50マイル以内のところにあった。そして神殿の莫大な財宝を得ようとして、敵は帰ってくるのであった。PK 521.5
しかしユダの王は、敵に抵抗するために彼のなすべき分をつくす決意を固めた。そして人知と精力の限りをつくした上で彼は軍勢を集めて、彼らに勇気を出すように勧告したのである。「イスラエルの聖者はあなたがたのうちで大いなる者だから」というのが、預言者イザヤのユダに対する言葉であった、そして王は今、ゆるがぬ信仰をもって「しかしわれわれと共におる者はわれわれの神、主であって、われわれを助け、われわれに代って戦われる」と宣言した(イザヤ12:6、歴代志下32:8)。PK 521.6
信仰を働かせることほど、急速に信仰を鼓舞するものはない。ユダの王は来たるべき嵐に備えていたのである。そして彼は今、アッスリヤに対する預言が成就することを確信して、神に信頼して、心安んじていたのである。「民はユダの王ヒゼキヤの言葉に安心した」(歴代志下32:8下句)。もしアッスリヤが、地上の最も強大な諸国の征服と、イスラエルのサマリヤに勝ち誇って、今その軍勢をユダに向けたならばどうなることであろうか。もし彼らが、「わが手は偶像に仕える国々に伸びた。その彫った像はエルサレムおよびサマリヤのものにまさっていた。わたしはサマリヤとその偶像に行ったように、エルサレムとその偶像に行わぬであろうか」と彼らが勝ち誇ったらどうなることであろうか(イザヤ10:10、11)。ユダは何も恐れることはなかった。彼らは主に信頼して いたからである。PK 521.7
永く予想されていた危機が、ついにやって来た。勝利に勝利を得ていたアッスリヤの軍勢が、ついにユダヤに近づいた。勝利を確信した将軍たちは軍勢を2つに分け、一方が南のエジプト軍と対峙している間に、他のほうがエルサレムを包囲することにした。PK 522.1
今や、ユダの唯一の救いの望みは神であった。エジプトからの援助はことごとく切断され、援助の手を差しのべる他の国は近くになかった。PK 522.2
アッスリヤの将校たちは、彼らのよく訓練された軍勢の力を確信してユダの指導者たちと会議を開き、その席上で無礼にも都の明け渡しを要求した。この要求には、ヘブルの神に対する、不敬なののしりも伴っていた。イスラエルとユダの弱さと背信のために、神のみ名は諸国の間でももはや恐れられることがなくなり、絶えず物笑いの種になっていたのである(同52:5参照)。PK 522.3
セナケリブの将軍の1人のラブシャケは言った。「ヒゼキヤに言いなさい、『大王、アッスリヤの王はこう仰せられる。あなたが頼みとする者は何か。口先だけの言葉が戦争をする計略と力だと考えるのか。あなたは今だれにたよって、わたしにそむいたのか』」(列王紀下18:19、20)。PK 522.4
将校たちは町の門の外で会議を開いていたが、それは城壁の番兵たちに聞こえた。そして、アッスリヤの王の代表者たちが大声で提案を語った時に、ユダの主だった人々は、ユダヤの言葉でなくてスリヤ語で語ってほしいと要望し起というのは、城壁のところにいる者たちに会議の成り行きが分からないようにするためであった。ラブシャケはこの提案をあざ笑って、一層声をはり上げて、ユダヤの言葉で話しつづけて言った。PK 522.5
「大王、アッスリヤの王の言葉を聞け。王はこう仰せられる、『あなたがたはヒゼキヤに欺かれてはならない。彼はあなたがたを救い出すことはできない。ヒゼキヤが、主は必ずわれわれを救い出される。この町はアッスリヤの王の手に陥ることはない、と言っても、あなたがたは主を頼みとしてはならない』。PK 522.6
あなたがたはヒゼキヤの言葉を聞いてはならない。アッスリヤの王はこう仰せられる、『あなたがたは、わたしと和ぼくして、わたしに降服せよ。そうすれば、あなたがたはめいめい自分のぶどうの実を食べ、めいめい自分のいちじくの実を食べ、めいめい自分の井戸の水を飲むことができる。やがて、わたしが来て、あなたがたを1つの国へ連れて行く。それは、あなたがたの国のように穀物とぶどう酒の多い地、パンとぶどう畑の多い地だ。ヒゼキヤが、主はわれわれを救われる、と言って、あなたがたを惑わすことのないように気をつけよ。もろもろの国の神々のうち、どの神がその国をアッスリヤの王の手から救ったか。ハマテやアルパデの神々はどこにいるか。セバルワイムの神々はどこにいるか。彼らはサマリヤをわたしの手から救い出したか。これらの国々のすべての神々のうちに、だれかその国をわたしの手から救い出した者があるか。主がどうしてエルサレムをわたしの手から救い出すことができよう』」(イザヤ36:13~20)。PK 522.7
こうした嘲笑に、ユダの人々は「ひと言も答えなかった」。会議は終わった。ユダの代表者たちはヒゼキヤのところにもどって、「衣を裂き、……ラブシャケの言葉を彼に告げた」(同36:21、22)。王は不敬な挑戦を聞いて、「衣を裂き、荒布を身にまとって主の宮に入」った(列王紀下19:1)。PK 522.8
会議の結果を伝えるためにイザヤのもとへ使者がつかわされた。「ヒゼキヤはこう言います、『きょうは悩みと責めと、はずかしめの日です。……あなたの神、主は、あるいはラブシャケのもろもろの言葉を聞かれたかもしれません。彼はその主君アッスリヤの王につかわされて、生ける神をそしりました。あなたの神主はその言葉を聞いて、あるいは責められるかもしれません。それゆえ、この残っている者のために祈をささげてください』」(イザヤ37:3、4)。PK 522.9
「そこでヒゼキヤ王およびアモツの子預言者イザヤは共に祈って、天に呼ばわった」(歴代志下32:20)。PK 522.10
神はしもべたちの祈りを聞かれた。ヒゼキヤに伝えるべき言葉がイザヤに与えられた。「主はこう仰せ られる、アッスリヤの王の家来たちが、わたしをそしった言葉を聞いて恐れるには及ばない。見よ、わたしは1つの霊を彼のうちに送って、1つのうわさを聞かせ、彼を自分の国へ帰らせて、自分の国でつるぎに倒れさせるであろう」(列王紀下19:6、7)。PK 522.11
アッスリヤの代表者たちはユダのつかさたちと別れたあとで、エジプトからの侵入路を守っていた軍勢とともにいた王に直接連絡した。報告を聞いたセナケリブ王は、「手紙を書き送って、イスラエルの神、主をあざけり、かつそしって言った、『諸国の民の神々が、その民をわたしの手から救い出さなかったように、ヒゼキヤの神も、その民をわたしの手から救い出さないであろう』」(歴代志下32:17)。PK 523.1
この勝ち誇った威嚇には、次の言葉がつづいていた。「あなたは、エルサレムはアッスリヤの王の手に陥ることはない、と言うあなたの信頼する神に欺かれてはならない。あなたはアッスリヤの王たちがもろもろの国々にした事、彼らを全く滅ぼした事を聞いている。どうしてあなたが救われることができようか。わたしの父たちはゴザン、ハラン、レゼフ、およびテラサルにいたエデンの人々を滅ぼしたが、その国々の神々は彼らを救ったか。ハマテの王、アルパデの王、セパルワイムの町の王、ヘナの王およびイワの王はどこにいるのか」(列王紀下19:10~13)。PK 523.2
ユダの王は嘲笑の手紙を受け取った時に、それを神殿に持っていき、「主の前にそれをひろげ、」天からの助けが与えられるという強い信仰をもって祈り、ヘブルびとの神が今もなお生きて支配しておられることを、地の諸国が知るようにと祈った(列王紀下19:14)。主の栄誉が危機にさらされていた。救いをもたらすことができるのは彼だけであった。PK 523.3
ヒゼキヤは次のように嘆願した。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ、地のすべての国のうちで、ただあなただけが神でいらせられます。あなたは天と地を造られました。主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いてごらんください。セナケリブが生ける神をそしるために書き送った言葉をお聞きください。主よ、まことにアッスリヤの王たちはもろもろの民とその国々を滅ぼし、またその神々を火に投げ入れました。それらは神ではなく、人の手の作ったもので、木や石だから滅ぼされたのです。われわれの神、主よ、どうぞ、今われわれを彼の手から救い出してください。そうすれば地の国々は皆、主であるあなただけが神でいらせられることを知るようになるでしょう」(同19:15-19)。PK 523.4
われらの救われるため、み顔の光を照してください。PK 523.24
あなたは、ぶどうの木をエジプトから携え出し、PK 523.25
もろもろの国民を追い出して、これを植えられました。PK 523.26
あなたは何ゆえ、そのかきをくずして 道ゆくすべての人にその実をPK 523.33
ユダのためと、最高の支配者であられる神の栄誉のためのヒゼキヤの嘆願は、神のみこころにかなっていた。ソロモンは神殿を捧げた時の祝祷において、主が「主の民イスラエルを助けられるように。そうすれば、地のすべての民は主が神であることと、他に神のないことを知るに至るであろう」と祈ったのである(列王紀上8:59、60)。特に主は、戦争の時や敵軍の侵略を受けたときに、イスラエルのつかさたちが祈りの家に入って救いを請い願う時に、神は恵みをほどこされるのであった(同8:33、34参照)。PK 524.15
ヒゼキヤは何の希望も与えられずに放置されなかった。イザヤは人をつかわして、王に言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる、『アッスリヤの王セナケリブについてあなたがわたしに祈ったことは聞いた』。主が彼について語られた言葉はこうである、PK 524.16
あなたはだれをそしり、だれをののしったのか。PK 524.21
「わたしは多くの戦車をひきいて山々の頂にのぼり、PK 524.26
たけの高い香柏と最も良いいとすぎを切り倒し、PK 524.28
そのうちに住む民は力弱くおののき、恥をいだいて、PK 524.39
わたしはあなたのすわること、出入りすること、PK 524.42
わたしにむかって怒り叫んだことをも知っている。PK 524.43
あなたがわたしにむかって怒り叫んだことと、PK 524.44
あなたをもときた道へ引きもどすであろう』。」PK 524.48
ユダの国は占領軍に荒らされていたが、神は奇跡的に民の必要なものを備えることを約束されたのである。ヒゼキヤに次の言葉が与えられた。「『あなたに与えるしるしはこれである。すなわち、ことしは落ち穂からはえたものを食べ、2年目にはまたその落ち穂からはえたものを食べ、3年目には種をまき、刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べるであろう。ユダの家ののがれて残る者は再び下に根を張り、上に実を結ぶであろう。すなわち残る者がエルサレムから出てき、のがれた者がシオンの山から出て来るであろう。主の熱心がこれをされるであろう』。PK 524.50
それゆえ、主はアッスリヤの王について、こう仰せられる、『彼はこの町にこない、またここに矢を放たない、盾をもってその前に来ることなく、また塁を築いてこれを攻めることはない。彼は来た道を帰って、この町に、はいることはない。主がこれを言う。わたしは自分のため、またわたしのしもベダビデのためにこの町を守って、これを救うであろう』」(同19:29~34)。救いが与えられたのは、まさにその夜のことであった。「主の使が出て、アッスリヤの陣営で18万5千人を撃ち殺した」(同19:35)。「アッスリヤ王の陣営にいるすべての大勇士と将官、軍長ら」が殺されたのである(歴代志下32:21)。PK 525.1
エルサレムを占領するために派遣された軍勢にくだった恐ろしい刑罰の知らせがやがて、なおもエジプトからユダヤに入る道を守っていたセナケリブに伝えられた。アッスリヤの王は、恐怖に打ちのめされて急いで去り、「赤面して自分の国に帰った」(同32:21)。しかし彼は長く国を治めることにはなっていなかった。彼の突然の死に関する預言に従って、彼は身内の者に暗殺された。そして、「その子エサルハドンが代って王となった」(イザヤ37:38)。PK 525.2
ヘブル人の神は、高慢なアッスリヤ人を打ち負かしたのである。周囲の国々の目の前で、主の名誉が保たれた。エルサレムでは、人々の心は聖なる喜びに満たされた。熱心に救いを呼び求めた彼らの嘆願には、罪の告白と多くの涙が混じっていた。彼らは大いなる緊急事態において、神の救いの力に全く信頼していた。そして神は彼らに失望をお与えにならなかった。今や神殿の庭は、厳粛な賛美の歌に鳴りひびいたのである。PK 525.3
雄々しい者はかすめられ、彼らは眠りに沈み、PK 525.12
いくさびとは皆その手を施すことができなかった。PK 525.13
さばきに立たれたとき、地は恐れて、沈黙した。PK 525.21
あなたがたの神、主に誓いを立てて、それを償え。PK 525.24
アッスリヤ帝国の興亡の歴史は、今日の地上の諸国に対する教訓に富んでいる。霊感は、最高潮にあったアッスリヤの栄光を、神の園にあって、回りの木々より高くそびえ立つ高貴な樹木にたとえている。PK 525.30
その根を多くの水に、おろしていたからである。PK 525.38
神の園の香柏も、これと競うことはできない。PK 525.39
しかしアッスリヤの王たちはこの著しい祝福を人類の幸福のために用いることをせず、多くの地において災いとなった。神や同胞のことを心に留めずに残酷になって、すべての国民にニネベの神々の至上権を認めさせようとする厳しい政策をとり、ニネベの神々を至高者よりも高めたのである。神はヨナを彼らに送って警告をお与えになったので、彼らはしばらくの間、万軍の主の前にへりくだって罪のゆるしを求めた。しかし、やがて彼らは偶像礼拝と世界の征服に逆もどりしてしまったのである。PK 526.4
預言者ナホムは、ニネベの悪人たちの罪を告発して叫んだ。PK 526.5
無限の神は、今もなお誤ることのない正確さをもって諸国の記録をとっておられる。神の憐れみが差しのべられて、悔い改めの招きが与えられている間、この帳簿は開かれている。しかし、数字が神のお定めになった一定の数に達する時に、神の怒りのわざが始まる。帳簿は閉じられる。神の忍耐は終わる。もはや、憐れみの声は彼らのために訴えなくなるのである。PK 526.17
もろもろの山は彼の前に震い、もろもろの丘は溶け、PK 526.26
だれが彼の燃える怒りに耐えることができよう。PK 526.30
「勝ち誇って、安らかに落ち着き、その心の中で、『ただわたしだけだ、わたしの外にはだれもない』と言った」ニネベが、こうして荒れはてて、「消えうせ、むなしくなり、荒れはてた。……ししのすみかはどこであるか。若いししの穴はどこであるか。そこに雄じしはその獲物を携え行き、その子じしと共にいても、これを恐れさせる者はない」(ゼパニヤ2:15、ナホム2:10、11)。PK 526.34
アッスリヤの誇りが低められる時を予見して、ゼパニヤはニネベについて預言した。「家畜の群れ、もろもろの野の獣はその中に伏し、はげたかや、やまあらしはその柱の頂に住み、ふくろうは、その窓のうちになき、からすは、その敷居の上に鳴く。その香柏の細工が裸にされるからである」(ゼパニヤ2:14)。PK 526.35
アッスリヤ帝国の栄光は、実に偉大なものであった。また、その崩壊もはなはだしいものであった。預言者エゼキエルは、高貴な香柏の木の象徴をさらにくわしく説明して、誇りと残酷のゆえにアッスリヤが滅亡することを明白に預言して、次のように言ったのである。PK 526.36
「それゆえ、主なる神はこう言われる、……その頂 を雲の中におき、その心が高ぶりおごるゆえ、わたしはこれを、もろもろの国民の力ある者の手に渡す。彼はこれに対してその悪のために正しい処置をとる。わたしはこれを追い出した。もろもろの国民の最も恐れている異邦人はこれを切り倒して捨てる。その枝はもろもろの山と、すべての谷とに落ち、その枝葉は砕けて、地のすべての流れにあり、地のすべての民は、その陰を離れて、これを捨てる、その倒れた所に、空のもろもろの鳥は住み、その枝の上に、野のもろもろの獣はいる。これは水のほとりのすべての木が、その高さのために誇ること……のないためである。……PK 526.37
主なる神はこう言われる、これが陰府に下る日にわたしが淵をこれがために悲しませ……野のすべての木を、これがために衰えさせる。……もろもろの国民をその落ちる響きのために、打ち震えさせる」(エゼキエル31:10~16)。PK 527.1
アッスリヤの誇りとその崩壊とは、時の終わりに至るまで実物教訓として、その役割を果たすのである。傲慢と誇りをもって神に逆らう今日の地上の国々に対して、神は次のようにおたずねになる。「エデンの木のうちで、その栄えと大いなることで、あなたはどれに似ているのか。あなたはこのように、エデンの木と共に、下の国に落され」る(エゼキエル31:18)。PK 527.2
「主は恵み深く、なやみの日の要害である。彼はご自分を避け所とする者を知っておられる。」しかし、至高者よりも自分たちを高めようとするすべての者を、「彼はみなぎる洪水で……全く滅ぼ」されるのである(ナホム1:7、8)。PK 527.3
「アッスリヤの高ぶりは低くされ、エジプトのつえは移り去る」(ゼカリヤ10:11)。これは神に逆らった古代の国家だけでなくて、神のみこころを実現しない現代の国家においても同様である。全地の正しい審判者であられる神が「もろもろの国をふる」われる最後の報復の日に(イザヤ30:28)、そして真理を守り通した人々が神の都に入ることをゆるされる時に、天空は贖われた人々の勝利の歌に鳴り響くのである。「あなたがたは、聖なる祭を守る夜のように歌をうたう。また笛をならして主の山にきたり、イスラエルの岩なる主にまみえる時のように心に喜ぶ。主はその威厳ある声を聞かせ」られる。「主がそのむちをもって打たれる時、アッスリヤの人々は主の声によって恐れおののく。主が懲らしめのつえを彼らの上に加えられるごとに鼓を鳴らし、琴をひく」(同30:2932)。PK 527.4