第44章主義に固く立つ
- 序
- 第1章 ソロモン王の選択
- 第2章 エルサレム神殿の建設
- 第3章 繁栄の落とし穴
- 第4章 権力者が倒れるとき
- 第5章 ソロモン王の改心
- 第6章 王国の分裂
- 第7章 悲劇の王ヤラベアム
- 第8章 急速にひろがった背信
- 第9章 預言者エリヤの出現
- 第10章 罪を責める声
- 第11章 カルメル山の対決
- 第12章 砂漠へ逃れる預言者
- 第13章 失敗から立ちあがる
- 第14章 預言者エリヤの力
- 第15章 妥協するヨシャパテ王
- 第16章 アハブ家の没落
- 第17章 預言者エリシャの召し
- 第18章 悪水を良水にかえる
- 第19章 平和をつくり出す人
- 第20章 大国シリヤからの訪問者
- 第21章 預言者工リシャの貢献
- 第22章 アッスリヤの首都ニネベ
- 第23章 大国アッスリヤの支配
- 第24章 破滅を定めるもの
- 第25章 預言者イザヤの召し
- 第26章 「あなたがたの神を見よ」
- 第27章 大国に援助を求めたアハズ王
- 第28章 熱心な改革者ヒゼキヤ王
- 第29章 虚栄のつけ
- 第30章 大国アッスリヤからの解放
- 第31章 諸国民の希望
- 第32章 暗黒時代をもたらしたマナセ王と改革の星ヨシヤ王
- 第33章 律法の書の発見
- 第34章 立ちあがった預言者エレミヤ
- 第35章 破滅が近い
- 第36章 ユダ王国の最後の王
- 第37章 バビロン捕囚
- 第38章 暗黒を貫く光
- 第39章 バビロン王宮の4青年
- 第40章 ネブカデネザル王の夢
- 第41章 火の燃える炉からの救い
- 第42章 真の偉大さとは何か
- 第43章 目に見えない守護者
- 第44章主義に固く立つ
- 第45章 バビロン捕囚から帰る
- 第46章敵対者に直面して
- 第47章大祭司ヨシュアと天使
- 第48章 権力をこえる力
- 第49章 王妃エステルの決心
- 第50章 学者エズラに導かれた改革
- 第51章 精神の大覚醒
- 第52章 総督ネヘミヤの活躍
- 第53章 市街の建てなおし
- 第54章 搾取に対する譴責
- 第55章 隣国の陰謀
- 第56章 律法の公布
- 第57章 改革が始まる
- 第58章 救い主を待望する人々
- 第59章 理想のイスラエル
- 第60章 栄光にみちた国が来る
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第44章主義に固く立つ
メディヤ人ダリヨスが、かつてはバビロンの王たちが占めていた座についたとき、彼は直ちに政治の再組織を行った。ダリヨスは120人の総督を立てることをよしとし、また彼らの上に3人の総監を立てた。ダニエルはその1人であった。これは総督たちをして、この3人の前にその職務に関する報告をさせて、王に損失の及ぶことのないようにするためであった。ダニエルは彼のうちにあるすぐれた霊のゆえに、他のすべての艦および糖たちにまさっていたので、王は彼を立てて全国を治めさせようとした。PK 587.41
王国の指導者たちは、ダニエルが栄誉を授けられたために、彼をねたんだ。そして彼らは、彼に対する苦情を言う折をねらった。ところがなんのとがをも見いだすことができなかった。「それは彼が忠信な人であって、その身になんのあやまちも、とがも見いだされなかったからである」(ダニエル614)。PK 587.42
ダニエルの行動になんの落ち度もないことが、ますます彼の敵たちのねたみを引き起こした。「われわ れはダニエルの神の律法に関して、彼を訴える口実を得るのでなければ、ついに彼を訴えることはできまい」と彼らは認めないわけにはいかなかった(同6:5)。PK 587.43
そこで総監と総督たちは相謀ってたくらみ、ダニエルを陥れようとした。彼らは自分たちが準備した禁令に王の署名を求め、30日の間ダリヨス王のほかに、神または人に願い事を行ってはならないことにしようとした。もしこの禁令を犯すならば、違反者はししの穴に投げ入れられるのであった。PK 588.1
したがって総督たちはそのような禁令をつくり、それをダリヨスに見せて署名を求めた。彼らは王の虚栄心に訴えて、この布告を実施するならば、大いに彼の栄誉と権威を増進すると説き伏せた。王は総督たちの陰険な策略を知らなかったので、布告にあらわれた彼らの憎しみを見分けることができずに、彼らのへつらいに屈してそれに署名した。PK 588.2
ダニエルの敵たちは、今や主のしもべに対するわながしっかりと設けられたことを喜びながら、ダリヨスの前を去った。こうした陰謀をめぐらすに当たって、サタンが重要な役割を果たしたのであった。預言者ダニエルは王国の指導的な高い地位にあった。そして悪天使たちは、王国の支配者たちに対する自分たちの力が、彼の影響によって弱まるのではないかと思った。総督たちにねたみやそねみの心を起こさせたのは、これらのサタンの手下たちであった。ダニエルを殺す計画を思いつかせたのは、悪天使たちであった。そして総督たちは悪の手先となって、それを実施したのである。PK 588.3
ダニエルの敵たちは計画を成功させるために、彼が原則に忠実に従うことを当てにしていた。そして彼の品性に対する彼らの評価に間違いはなかった。ダニエルはすぐに、彼らが布告を考え出した邪悪な目的を読みとったが、彼はその行動をただ1つの点においても変更しなかった。今こそ最も祈るべき時なのに、どうして祈りをやめることができようか。彼は神の助けを望むことをやめるよりは、生命そのものを放棄したいと思った。彼は冷静に総監としての務めを果たし、祈りの時間には自分の部屋に入り、いつも行っていたようにエルサレムに向かって窓を開いて天の神に願いを捧げた。彼は自分の行動を隠そうとしなかった。彼は神に忠誠をつくす結果が何であるかを十分に知っていたが、ためらうところはなかった。彼は自分を陥れようとたくらんでいる人々の前で、彼と天の神との関係が絶たれたかのように見えることすら許さなかったのである。ダニエルは王に命令権のある点においては、あらゆる命令に従うのであった。しかし王であろうが、王の布告であろうが、王の王なる神に対する忠誠を曲げさせることはできなかった。PK 588.4
こうしてダニエルは、地上のどんな権力も魂と神との間に介入する権利がないことを、大胆に、しかも静かに謙遜に宣言したのである。彼は偶像礼拝者たちに囲まれていながら、この真理に対する忠実な証人であった。彼が恐れることなく正義のために固く立ったことは、あの異教の宮廷の道:徳的暗黒の中にあって輝かしい光であった。ダニエルはキリスト者の勇気と誠実の尊い模範として、今日世界の前に立っている。PK 588.5
総督たちは一日中ダニエルを監視した。彼らはダニエルが、3回自分の部屋に入るのを見、3回彼が熱心に神に執り成しの祈りを捧げる声を聞いた。彼らは次の日の朝、王の前に苦情を訴えた。最も栄誉を授けられて忠実な政治家であるダニエルが、王の布告に公然と反抗したのである。彼らは王に念を押して言った。「王よ、あなたは禁令に署名して、今から30日の間は、ただあなたにのみ願い事をさせ、もしあなたをおいて、神または人に、これをなす者があれば、すべてその者を、ししの穴に投げ入れると、定められたではありませんか」(ダニエル6:12)。PK 588.6
王は答えて言った、「その事は確かであって、メデアとペルシャの法律のごとく、変えることのできないものだ」(ダニエル6:12下句)。PK 588.7
そこで彼らは大喜びで、最も信頼されている助言者の行動をダリヨス王に告げた。「王よ、ユダから引いてきた捕囚のひとりである、かのダニエルは、あな たをも、あなたの署名された禁令をも顧みず1日に3度ずつ、祈をささげています」と彼らは大声で叫んだ(同6:13)。PK 588.8
王はこのような言葉を聞いた時に、直ちにそれが、彼の忠実なしもべに対するわなであったことを悟った。王は彼らが王の布告を提案したのは、王の栄光と誉れを熱望するためではなくて、ダニエルをねたんだためであることを知った。王はたくらまれた悪に自分も加わったことを「大いに憂え」、ダニエルを救おうとして、「日の入るまで、彼を救い出すことに努めた」(同6:14)。総督たちは、王がこのように努力することを予想して、王のところに来て言った。「王よ、メデアとペルシャの法律によれば、王の立てた禁令、または、おきては変えることのできないものであることを、ご承知ください」(同6:15)。たとい性急に出された布告であっても変えることはできず実施されなければならなかった。PK 589.1
「そこで王は命令を下したので、ダニエルは引き出されて、ししの穴に投げ入れられた。王はダニエルに言った、『どうか、あなたの常に仕える神が、あなたを救われるように』」。1つの石が穴の口に置かれて、王自身が、「自分の印と、大臣らの印をもって、これに封印した。これはダニエルの処置を変えることのないようにするためであった。こうして王はその宮殿に帰ったが、その夜は食をとらずまた、そばめたちを召し寄せず全く眠ることもしなかった」(同6:16~18)。PK 589.2
神はダニエルの敵が、彼をししの穴に投げ入れることを阻止されなかった。神は悪天使と悪人たちが、ここで彼らの目的を達するのをお許しになった。しかしそれは、神のしもべの救出をさらに著しいものにし、真理と義の敵の敗北を、さらに完璧なものにするためであった。「まことに人の怒りはあなたをほめたたえる」と詩篇記者はあかしした(詩篇76:10)。御都合主義ではなくて、正義を行うことを選んだこの1人の人の勇気によって、サタンは敗北し、神のみ名は高められ、崇められるのであった。PK 589.3
翌朝早く、ダリヨスはししの穴へ急いで行って、「悲しげな声をあげて呼ばわり」、「生ける神のしもベダニエルよ、あなたが常に仕えている神はあなたを救って、ししの害を免れさせることができたか」と言った(ダニエル6:20)。PK 589.4
預言者ダニエルの声は答えた。「王よ、どうか、とこしえに生きながらえられますように。わたしの神はその使をおくって、ししの口を閉ざされたので、ししはわたしを害しませんでした。これはわたしに罪のないことが、神の前に認められたからです。王よ、わたしはあなたの前にも、何も悪い事をしなかったのです」(同6:21、22)。PK 589.5
「そこで王は大いに喜び、ダニエルを穴の中から出せと命じたので、ダニエルは穴の中から出されたが、その身になんの害をも受けていなかった。これは彼が自分の神を頼みとしていたからである。王はまた命令を下して、ダニエルをあしざまに訴えた人々を引いてこさせ、彼らをその妻子と共に、ししの穴に投げ入れさせた。彼らが穴の底に達しないうちに、ししは彼らにとびかかって、その骨までもかみ砕いた」(同6:23、24)。PK 589.6
もう1度、ダニエルの神を真の神としてたたえる布告が、異教の王によって発布された。「そこでダリヨス王は全世界に住む諸民、諸族、諸国語の者に詔(みことのり)を書きおくって言った、『どうか、あなたがたに平安が増すように。わたしは命令を出す。わが国のすべての州の人は、皆ダニエルの神を、おののき恐れなければならない。PK 589.7
神のしもべに対する邪悪な反対は、もう根絶した。「こうして、このダニエルはダリヨスの世と、ペルシャ人クロスの世において栄えた」(同6:28)。そしてこれらの異教の王たちは、彼と交わることによって、神が「生ける神であって、とこしえに変ることなく、その国は滅び」ることがないことを認めないわけにはいかなかった(同6:26)。PK 590.1
ダニエルの救出の物語から、神の民は試練と暗黒の時にあっても、前途が希望に輝き、周囲の事情が望みどおりのものである時と、全く同じでなければならないことを、われわれは学ぶのである。ししの穴に入れられたダニエルは、国家の大臣たちの長として、また至高者の預言者として、王の前に立ったダニエルと同じであった。神を信頼している人は、最大の試練の時においても、神と人間からの光と恵みが降り注ぐ繁栄の時と同様なのである。信仰は目に見えないものに手を伸ばし、永遠の実在を把握するのである。PK 590.2
天国は、義のために苦しむ者のそば近くにある。キリストはその忠実な民と利害を1つにされる。キリストは彼の聖徒が苦しむ時に苦しまれる。そして彼の選民に触れる者は、だれでもキリストに触れるのである。肉体的危害や苦難から救うためにそば近くにある力は、またさらに大いなる悪から救うためにそば近くにあって、神のしもべに、どんな状況のもとにあってもその誠実さを堅持する力を与えて、神の恵みによって勝利することを可能にするのである。PK 590.3
バビロンとメド・ペルシャ両帝国の政治家としてのダニエルの経験は、実業家は必ずしも陰険な策を用いる政略家でなく、1歩1歩神の指示に従う人であり得るという真理を示している。地上の最大の王国の総理大臣であったダニエルは、それと同時に神の預言者であり、天から霊感の光を受けたのである。彼はわれわれと同じ情の人であるが、霊感の筆は彼に誤りはなかったと記している。彼の事業の取り扱いは、敵がどんなに厳密に調査しても、何1つ落ち度が見つからなかったのである。ダニエルは、実業家が悔い改めて献身し、その動機が神の前に正しくある時に、どのような者になり得るかという模範である。PK 590.4
天の神の要求に厳密に従うことは、霊的祝福と同様に物質的祝福をもたらすのである「ダニエルは揺らぐことのない忠誠を神につくし、断固として自己を制し、その気高い威厳と不動の誠実とによって、まだ若かったのに彼を監督する任務を帯びた異教の役人の、「恵みとあわれみ」とを受けたのである(ダニエル1:9)。この同じ特質が、彼のその後の生涯においても著しくあらわれていた。彼は速やかに、バビロン王国の総理大臣の地位に上った。次々と王たちの治世が続き、国家が崩壊して別の世界帝国が建設される時代にあって、彼は知恵と政治的手腕を持ち、その機転、その丁重さ、その純粋な親切心、原則に対する忠実さなどは実に完璧であったので、彼の敵でさえも「訴えるべきなんの口実も、なんのとがをも見いだすことができなかった」と告白しないわけにはいかなかった(同6:4)。PK 590.5
ダニエルは国事の責任と、世界を支配する王国の機密を託されて人間の栄誉を受けたが、神からは神の使者として栄誉を賜わり、来たるべき時代の秘密について多くの啓示を受けたのである。ダニエル書7章から12章に彼が記した驚くべき預言は、預言者ダニエル自身でさえ十分に理解することができなかった。しかし彼は、その生涯の働きを終わる前に祝福された確証が与えられた。「定められた日の終りに立って」、すなわちこの世界歴史の終局において、彼はふたたび立ってその分を受けるのであった(同12:13)。PK 590.6
彼は啓示された神のみこころを、すべて理解することは許されなかった。彼は、彼の書いた預言について「終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい」と命令された(同12:4)。これらの言葉は「終りの時まで」封じておかなければならなかった。天使はふたたび、忠実な主の使者に指示を与えて言った。「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。……しかし、終りまであなたの道を行きなさい。あなたは休みに入り、定められた日の終り に立って、あなたの分を受けるでしょう」(同12:9、13)。PK 590.7
この世界の歴史の終末が近づくにつれて、ダニエルが記した預言はわれわれが住んでいる時代そのものに関するものであるから、特別に注意を払わなければならない。それとともに、新約聖書の最後の書の教えを結びつけなければならない。サタンは、ダニエル書とヨハネが書いた黙示録の預言的部分は、理解することができないと多くの人々に思い込ませている。しかし、これらの預言を研究する者には特別の祝福が与えられると、明らかに約束されているのである。終わりの時に封が開かれるダニエルの預言に関して、「賢い者は悟るでしょう」と語られたのである(同12:10)。そして各時代にわたる神の民の指針として、キリストがそのしもベヨハネにお与えになった啓示については、「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである」との約束が与えられているのである(黙示録1:3)。PK 591.1
われわれは、ダニエル書と黙示録に明らかにされている国々の興亡から、単なる外見的、世俗の栄光がどんなに無価値なものであるかを学ばなければならない。今日においても世界にその比を見ないバビロンの権力と壮麗さのすべては、当時の人々にとっては実に堅固で永続的に見えたのであるが、なんと完全に過ぎ去ってしまったことであろう。それは、「草花のように過ぎ去」った(ヤコブ1:10)。同様にメド・ペルシャ王国も、ギリシャ王国もローマ王国も滅びた。そして神をその基としないものはみな滅びるのである。ただ神のみこころと結合し、神の品性をあらわすものだけが永続することができるのである。神の原則だけが、この世界における唯一の堅固なものなのである。PK 591.2
諸国の歴史と来たるべきでき事についての啓示において、神のみこころがどのように達成されるかを研究することは、見えるものと見えないものの真の価値を評価し、人生の真の目的が何であるかを学ぶ助けとなる。こうして、現世のでき事を永遠の光に照らしてみる時に、われわれはダニエルと彼の仲間たちのように、真実で気高く、永続するもののために生きることであろう。そしてわれわれは、われわれの主、救い主の永遠に続く祝福された王国の原則を現世において学び、彼がおいでになる時には、彼とともにその国に入って、それを自分のものとする準備が整うのである。PK 591.3