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各時代の大争闘 - Contents
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    世俗化と快楽追求

    宗教を告白することは、世の人々に歓迎されるようになった。為政者、政治家、弁護士、医師、実業家などは、社会の尊敬と信頼を確保し、自分たちの世俗的な利益を増進するために、教会に加わる。GC 1781.3

    こうして彼らは、キリスト教を公言しながら、そのかげであらゆる不正な取引を行おうとする。こうして教会に加わった世俗の人々の、富と影響力によって補強された種々の宗教団体は、なおいっそう、世の人気と愛顧を得ようと努力する。ぜいを尽くした教会堂が、繁華な通りに建設され、礼拝者たちは、高価な流行の衣服をまとっている。人々を喜ばせ引きつける才能ある牧師に、高給が支払われる。彼の説教は、人々の罪にふれてはならず、上流社会の人々の耳に楽しい快いものでなければならない。こうして、上流社会の罪人たちが教会の名簿にのせられ、社交界の罪が信心深い装いのかげに隠されている。GC 1781.4

    現代の自称キリスト者たちの世俗に対する態度について、ある有力な一般雑誌は次のように言っている。「教会は、知らず知らずのうちに、時代の精神に順応し、その礼拝の形式も、現代の要求に適応させてしまった。」「実際、教会は、今や宗教を魅力的にするのに役立つものならなんでも、その手段として用いている。」また、ニューヨークの『インディペンデント』誌の筆者は、メソジスト教会について、次のように言っている。「信心深い者と宗教的でない者との区別は、あいまいになり、双方の側の熱心な人々は、彼らの行動や楽しみの差異を全部取り去ろうと努力している。」「宗教を信じることが一般に歓迎されるようになると、その義務を十分に果たすことをせずしてその恩恵にあずかろうとする者が、はなはだしく増加するようになる。」GC 1781.5

    ハワード・クロスビーは、次のように言っている。「キリスト教会が、主の意図されることをほとんど果たしていない状態は、まことに憂慮すべきことである。ち ょうど昔のユダヤ人たちが、偶像国民と親しく交わって、その心を神から奪い去られたように、……イエスの教会は今、不信仰な世界と不実の提携をして、神から与えられた真の生活の指針を放棄し、キリストを信じない社会の、もっともらしいが危険な習慣に順応し、神の啓示とは無関係で、恵みにおけるあらゆる成長とは全く反対の議論を行っては、そうした結論に達している。」10GC 1781.6

    この世俗化と快楽追求の潮流の中で、キリストのための克己と自己犠牲とは、ほとんど全面的に忘れ去られている。「今、教会で活動している男女のあるものは、子供の時に、キリストのために何かをささげるか、または何かを行うために、犠牲を払うようにと教えられたのである。」しかし「今、資金が欠乏していても、……ささげるようにとの呼びかけはだれにもなされない。それよりも、慈善市、演劇、模擬裁判、古物収集夕食会、あるいは何かの会食など——人々を楽しませることを行おうとする。」GC 1782.1

    ウィスコンシン州のウォシュバーン知事は、1873年1月9日の年頭報告の中で次のように言った。「ばくち打ちが出てくるような学校を閉鎖する法律が必要であるように思われる。そういう学校が至るところにある。教会でさえ(疑いもなく、知らずにではあろうが)、悪魔の仕事をしていることがある。時には宗教的または慈善の目的で開かれる景品付き音楽会や景品付き売り出し、富くじなどは、しぼしば、福引きや懸賞袋など低級な目的のためにも開かれており、これらはみな、射幸心をそそる手段である。特に青年たちにとって、労せずして金や物を手に入れることほど、心を堕落させ、まひさせるものはない。りっぱな人々が、こうした投機的な催しにたずさわり、その金銭はよい目的のために使われるのだと考えて安心している間に、州の青年たちがかけごとに熱中する習慣に陥ってしまっても、不思議ではない。」GC 1782.2

    世俗との妥協の精神が、キリスト教国の至るところの教会に侵入しつつある。ロバート・アトキンスは、ロンドンでの説教の中で、英国に広く行きわたっている霊的堕落の暗い絵を描いて次のように言っている。「真に正しい人々は、地上から減りつつある。そしてだれもそのことを気にかけない。今日、各教会における信者たちは、世俗を愛し、世俗と妥協し、肉体的な楽しみを愛し、そして人々の尊敬を得たいとあこがれている。彼らは、キリストとともに苦しむように召されているのに、非難を受けることさえ恐れている。……背教、背教、背教が、各教会の真正面に刻印されている。もし彼らがそれを知り、それを感じるならば、望みがあろう。ところが、悲しいことに彼らは、『自分は富んでいる、豊かになった。なんの不自由もない』と叫ぶ。」11GC 1782.3

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