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各時代の大争闘 - Contents
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    プロテスタントの変質

    カトリック教は以前ほどプロテスタントと広く隔たってはいないという主張が、プロテスタントの諸国において唱えられてきたことには、理由がないわけではない。そこには変化があったのである。しかしその変化は、法王制の中にあったのではない。なるほどカトリック教は、今日存在しているプロテスタントによく類似している。それはプロテスタントが、宗教改革者の時代以後、ひどく堕落してしまったからである。GC 1876.4

    プロテスタント諸教会は世の関心を求めたために、誤った愛がその目を見えなくした。彼らはどんな悪の中にも善いものがあると信ずることは正しいことである、と思い込んでいる。だからその必然的な結果として、ついにはすべての善いものの中に悪なるものを信ずるようになるのである。かつて聖徒たちに伝えられた信仰を守って立とうとしないで、彼らは今や、いわばローマに対して無情な意見を抱いていたことを陳謝し、自分たちがかたくなであったことに対して赦しを求めているのである。GC 1877.1

    大多数の者は、法王制に対して好意をもっていない人たちでさえ、この教会の権力と影響からくる危険をほとんど理解していない。多くの者は、中世をおおっていた知的道徳的暗黒は、法王制の教義、迷信、圧制を広げるのに役立ったが、現代のすぐれた知性や、知識の普及、また宗教問題に関する自由の増大は、不寛容や専制政治の復興を押しとどめている、と主張する。この文明の時代にそのような事態が存在するというような考え方は、嘲笑される。知的、道徳的、宗教的な大きな光がこの時代に輝いているということは事実である。神の聖なるみ言葉が開かれて、天よりの光が世界を照らしてきた。しかし、いっそう大きな光が与えられれば与えられるほど、それを曲解し、拒む者の暗黒はますますひどくなるということを忘れてはならない。GC 1877.2

    祈りをもって聖書を研究する時、プロテスタントは法王制の本性を知り、法王制を嫌悪し、それを避けるようになる。しかし多くの者は、自分では賢いと思っているために、真理に導かれるために謙遜に神を求める必要を感じていない。彼らは自分たちの進歩を誇っているが、聖書も神の力も知らない。彼らは自分たちの良心を沈黙させる何かの手段がどうしてもほしいので、最も霊的ではないもの、最も自尊心を傷つけないものを求める。彼らが願うものは、神を覚える方法として通用して、その実は神を忘れる方法である。法王制はこれらすべての欲求によくかなっている。それはほとんど全世界を包含する2種類の人々——自分の功績によって救われようとする者と、罪の中にあって救われようとする者——のために用意されている。ここにその権力の秘けつがある。GC 1877.3

    知的大暗黒の時代は法王制の成功に都合がよかったように見られてきた。しかし大いなる知的進歩の時代もその成功にとって同じく都合がよいことが、実際に示されるであろう。神のみ言葉もなく、真理の知識もなかった過去の時代には、人々の目は欺かれ、幾千の者は、自分たちの足もとに張られた網が見えないでわなに捕らえられた。今の時代には、「偽りの知識」である人間的思索のはなやかな光に目をくらまされている人が多い。彼らは網に気づかず、目隠しされたようにたやすくそれに入り込んでしまう。神は、人間の知的能力がその造り主からの賜物とみなされ、真理と義の奉仕に用いられるよう計画なさった。しかし、人々が高慢と野望を抱き、神のみ言葉よりも自分自身の説を高める時、知識は無知よりも大きな害を与え得るのである。こうして、聖書の信仰の基礎を覆す現代の偽りの知識は、知識の抑圧が暗黒時代に法王制拡大強化の道を開くのに成功したように、人々の喜ぶ形式をもった法王制が受け入れられる道を備えることに成功するのである。GC 1877.4

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