さし迫った危険
また、ローマ教会は決して変わらないということがこの教会の自慢の種であることを忘れてはならない。グレゴリー7世やインノセント3世の主義は、今なおローマ・カトリック教の主義である。そして教会がもしひとたび権力を持つならば、過去の場合と同じ勢力をもって、その主義を行動に移すであろう。プロテスタントが日曜日をあがめる運動において、ローマ教会の助けを受け入れようと企てる時、彼らは自分たちのしていることがわからないのである。GC 1881.4
プロテスタントが自分たちの目的の達成に夢中になっている間に、ローマ教会は、その権力を再び確立して、失われた至上権を回復することをねらっているのである。教会が国家の権力を用いたり、支配したりするような、また宗教上の制度が国家の法律によって強制されるような、すなわち、教会と国家の権威が良心を支配するような、そのような原則が米国にひとたび確立されるならば、この国におけるローマ教会の勝利は確実なものとなる。GC 1881.5
神のみ言葉はこのさし迫った危険について警告を与えてきた。これが顧みられないならば、プロテスタントの世界は、ローマ教会の目的が実際に何であったかを知った時には、もはや手遅れになってそのわなを逃れることができないであろう。ローマ教会は黙々としてその勢力をのばしつつある。その教えは議会に、教会に、また人々の心に影響を及ぼしている。法王制は堂々たる大建造物を築き上げているが、その奥まった部屋では昔の迫害がくり返されるであろう。自分が手を下す時が来たら自分自身の目的を押し進めるために、教会は、ひそかに、そしてあやしまれないように、勢力をのばしつつある。この教会が何よ りも望むものは、有利な立場である。そしてこれはすでに教会に与えられつつある。われわれはローマ教会の真の目的が何であるかをまもなく見、かつ感じるであろう。神のみ言葉を信じ、それに従う者はだれでも、そのことによって非難と迫害を受けるであろう。GC 1881.6
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GC 1882.2
1 John L. von Mosheim, “Institutes of Ecclesiastical History, ”book 3, century 11, part 2, chapter 2, section9, note 17.GC 1882.3
2 Josiah Strong, “Our Country,” ch.5, pars.2-4.GC 1882.4
3 Lenfant, vol.1, p.516.GC 1882.5
4 Robert Cox, “Sabbath Laws and Sabbath Duties,” p.538.GC 1882.6
5 Francis West, “Historical and Practical Discourse on the Lord's Day,” p.174.GC 1882.7
6 Thomas Morer, “Discourse in Six Dialogues on the Name, Notion, and Observation of the Lord's Day,” p.271.GC 1882.8
7 Heylyn, “History of the Sabbath” pt.2, ch.5, sec.7 を参照。GC 1882.9
8 Roger de Hoveden, “Annals,” vol.2, pp.528-530を参照。GC 1882.10
9 Morer, pp.290, 291.GC 1882.11
10 Ibid., pp.281, 282.GC 1882.12
11 Michael Geddes, “SChurch History of Ethiopia,” pp.311, 312を参照。GC 1882.13
12 John Dowling, “The History of Romanism,” b.5, ch.6, sec.55.GC 1882.14
13 Mosheim, b.3, cent.11, pt.2, ch.2, sec.9, note 17.GC 1882.15